ゴタゴタの期間のメモを見ても介護に関わった記録は少ないけれど、本当に大切なことのためには動いていたらしい。
2018年9月25日、また夫の具合が悪いので私は仕事を休んで一緒にいることに決めた。なのにお昼近くになって、突然「両親に会いに行く」と宣言された。言い出したら止められない。夫は駅まで歩くことすら出来ない状態なので、タクシーを呼んだ。
まず義父が入った施設に着いたのは、ちょうどお昼時。義父は痩せてきていたけれど食事はちゃんと食べている様子。個室に戻り、私は持ってきた義父の着替えを片付けたり書類を施設長に渡したり。
夫はその間、真面目な話をした。「親父を尊敬するよ」「人生よくやったと思う」そんなことを義父に伝えた。要介護になってからは義父を叱りつけるようなこともたくさんあったのに、それらを塗り替えたと思う。
義父は理解しなかったのか、それとも照れてしまったのか話題を変えた。それでも夫は「勝手に死ぬなよ」と言い、義父は「死なないよ」と答えた。
義母の具合が少しだけ良くなっていること、もしかしたら同じ施設に入れる状態になるかもしれないことを話せた。夫は義父の前ではふらつきも見せない。私はハラハラし通しだったけれど、義父とは穏やかな時間を過ごせた。
またタクシーに乗り、今度は義母が入った療養型の病院へ行く。義母には前回会いに行った時に「アメを舐めたり水を飲む練習をしている」と聞いていた。食べ物を食べる夢ばかり見るらしい。
その日も「○○病院の喫茶店でアイスを食べてお金払うのを忘れた」と、意味不明なことを言う。これはせん妄というやつだろうか? でも言葉が多く元気そうに見える。
私は嚥下の練習に使う棒付きのアメと、箱ティッシュを買いに外に出た(病院からは支給されない)。夫も病院の外でタバコを吸っていた。その間、義母はリハビリ担当者にオレンジゼリーを食べさせてもらっていた。
戻ってから話を聞くと「ほんのちょっとしかくれないから味なんてわからない」「途中で話しかけられるから焦ってむせてしまう」と義母は言う。一方、リハビリ担当者さんからは「全部は飲みこめていなかった」と聞いた。だから少量しかあげられなかったという意味か。
この時、その場で見学していれば良かったと悔やんだ。どちらも嘘はついていないと思うから、自分の目で確かめたかった。恐らく、ひとりで大勢のリハビリをこなすスタッフは時間が足りない。だから義母に対しても、急かし気味になっていたのではないか?
それなら、家族がいれば意識して少し丁寧になるのが人情のはず。せめて私たちがいる時くらいそうすれば良かったと思う。
この日に夫が義父に伝えたことが印象に残り、私も自分の両親に伝えるべきだと考えた。両親が生きているうちに。きちんと話を理解できるうちに。
だから翌年の父の日や母の日には、手紙を書いてプレゼントと一緒に送った。私は私の言葉で「私を生んで育ててくれてありがとう」と。