いつか愛せる

DVのその後のことなど

義両親と夫と自分の命の重さ

 義父が入る予定の施設の人と面談した日。

当時の記録は私にとっての事件が多過ぎて話が飛びまくり、介護に関する出来事だけを拾うのが難しい。私は何度も失敗したり体がおかしくなったりしたけれど、それは当然で。むしろ乗り越えられたことが奇跡だと感じる。

この話の続き ↓


 その日は11時過ぎに会社を早退。帰宅すると、夫はネットがつながらないと言う。住んでいるマンションの高圧洗浄と外壁塗り替えをしていた時期で、工事と関係があると考えられた。

すでに私はパニック気味だった。夫は体調不良の上に工事の騒音でストレスが高まっていたので、これ以上悩みをふやされたらパンクする。対応で昼食を食べる暇もなくなり、急いで義両親のいる病院へ向かった。

 病院には義父が入る施設から施設長とケアマネージャーが来られた。2人が義父や看護師さんと話している間に、私たちは義母に会いに行った。

義母は「お腹がすいた」「水を飲みたい」と繰り返した。「食べるものを買ってきて」と言われ、私は返す言葉がなく切ない。義母は自分がものを飲み込めなくなっていることを理解できなくなったのだろうか。

 その後、施設長とケアマネと私たちの面談、いくつか書類も書いた。入居当日に3種類の印鑑(本人・夫・私)を持ってくるよう言われた。

帰ろうとして思い出す。義母に亡くなった愛猫ノンちゃんの写真と、お気に入りだった小さな青い象さんを持ってくるのを忘れた。義母の慰めになると思って用意したのに。

すると夫は「一度帰ってまた持ってくる」という。疲れているけれど反対する理由はない。

 

 再度病院に行く際に、私はまたグゥワバジュースとヨーグルトドリンクにとろみをつけて持っていき、看護師さんに頼んで義母に飲ませてもらった。今度は3口入れることはできたけれど、やはり全部は飲み込めてはいない。

夫は義母に話しかけた。だから俺は何度も「無理するな」って言っただろう。親父の世話で無理を続けた結果がこれだ。それは、まるで私にも言っているようだった。

 義母が「暑い」と言ってふとんを剥いだので、私は義母の足をマッサージしてみた。ノンちゃんの写真と象さんも見せたが、よく見えないのか反応はなかった。

夜の8時を過ぎたころだったろうか。夫の様子がおかしい。まるで「楽にしてやる・・・」と言うかのように、無言で義母の首に手を持って行った。そのとき義母が夫に何か言った。私には聞こえなかったけれど、何かジョークのようだった。すると夫は手をとめて離れた。その後は、座り込んで声も出さず静かに泣いていた。

 義母は私に「足を揉んでほしい」と言うので、再び私はマッサージした。すると今度は自分でも足首を動かした。リハビリで習った動きだろう。義母は生きようとしていると私は思った。

           

 義両親のために出来るだけのことはしてあげたい。一方で私には義両親の命以上に夫の命が重い。夫の心身の状態が心配で不安で怖い。両方を気遣いながら、自分の体力の限界を忘れるわけにもいかない。いつも複数の問題が同時に起きる度に、私は適切な優先順位をつけられずに混乱していた。