いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母の説得と義実家の売却契約

 いよいよ義実家売却のため、名義人である義母の意思確認の日になった。

司法書士が病院に来てくれるのはありがたい。しかも義母の余命宣告で時間がないので、同時に契約も出来るよう不動産屋さんを連れて来てくれると言う。

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 待ち合わせは土曜日の夕方なので、私は日中は行政センターや郵便局で用足し。あまりに用意する物が雑多で、忘れ物がないか不安になる。

待ち合わせの2時間前には夫と一緒に病院に着く。司法書士さんが来る前に義母を説得しなくてはならず、緊張が高まってくる。

まず義父の施設入所に必要な健康診断書類を受け取り、1ヶ月分の入院費用の支払いをしてから義母の病室へ。

 義母は呼吸器をつけていかにも危篤の病人のように見えたけれど、ありがたいことにその日は意思の疎通ができた。

 

 夫は不思議なほど冷静かつ穏やかに話した。もう両親とも家で生活できる状況ではないこと。義父の施設入所のこと。そしてお金が足りなくなるから「家を売らせてくれ」と。

義母は何となく、うんと言ってくれたように見えた

夫は「いずれお袋も親父と同じ施設へ···」と話した。それが叶う可能性は低かったけれど、話しているうちに「そうなる!」と夫自身も信じたように思う。

 やがて夫は「親父を連れてくる」と出て行った。私は義母が疲れて息が荒くなっているので、手を置いて祈っていた。

 久しぶりに義母に会った義父は「同じところに行きたいな」と言った。医師から義母はもうダメだと聞いたことを覚えているのかいないのか···

ゆっくりふたりで話させてあげたいのに。隣のベッドの女性が、夫の声を医師の声と勘違いしたのか「先生~~~!!」と呼び続けていた。

 

 私たちは一度病室を出て軽食をとり、約束の10分前に戻った。すでに司法書士さんたちが到着していたのですぐ義母の病室へ。売却について軽く話をすると、義母は「よろしくお願いします」とはっきり言ってくれた。成功だ。

「サインできますか?」と聞かれペンを渡したけれど、やはり無理で私が代筆することに。私たちはラウンジへ行って説明をうけ契約書に記入する。翌月曜日にはもう全額振り込まれるとのこと。

私はそれを確認してすぐに電話しなくてはならない。それで司法書士さんは急いで登記所に行く。登記が終わるまで義母が生存していてくれなくてはいけないとのことで、あと2日。きっと間に合うと思った。

             

 ありがたいことがもうひとつ。義実家の売却額は増額出来ないので、不動産屋さんが別の名目で現金10万円を包んでくれた。司法書士さんのプッシュのお陰に違いない。

そして不動産の引き渡しは8月末(その日は8月4日だった)でも、もし準備が間に合わなければ延長も対応してくれるという。

 私たちはふたりにお礼を言ってお見送りし、また義母のところに戻った。私は大仕事をひとつ進められたことにホッとしたけれど、このとき義母は何を考えていたのかな。何とか息子と嫁に残したい、と思ってくれていた家を手放したこと。