いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護者は優等生にならない方が良いと思う

 このころのことを思い出したら、介護に疲れ果てて無理心中を図る人の状況が想像できた。ひとりで思い詰めて死を選んでしまったんだなあと。

これは義父が退院して施設に入所した翌週の話。前の話は↓こちら。

 入所手続きが片付いたと思ったのに、しばらくは何度も呼ばれてしまう。例えば、夫は「父に異変があっても余計な延命措置をしない」と決めたため、いざという時は施設で看取りをお願いすることになる(結果として病院で亡くなったけれど)。そうすると、事前に施設が提携している医師と面談して一筆書く必要があると言われた。でも夫はずっと体調不良で動けないし、私には「わざわざ行かなくていい」と言い切る。

 確かに、施設や病院から言われることを完璧に遂行していたら、私と夫はとっくに自滅していたと思う。いつ動けなくなるかわからない夫が、無理やり動いてどこかでぶっ倒れるか。あるいは私が仕事をやめて介護に専念し、完全に無収入の世帯になるか。どちらも選ぶわけにいかなかった。

           

 同じころ、義母の転院先である療養型病院の面談があった。避けられない面談なのに夫は動けないので、また私が会社を休んでひとりで行った。台風が来ている日だったな。

 義母の保証人として夫の名前を書いて良いか、メールで夫に確認する。それまでの入院では、私の名はもちろん自分の名前も「保証人欄に書くな」と言っていた。体調に不具合のある夫は責任を負いきれないし、両親より自分が先に逝ってしまう可能性も考えた。そのとき両親のすべてが私にのし掛かることを避けようとした。でも今回ばかりは、もう義母の保証人に義父の名前を使うわけにはいいかない。

 対応してくれたのは看護師らしい制服の穏やかな女性だけれど、お金にはシビアでこちらの職業も聞かれた。「勤め人の人はいませんか」と言う。夫はひとりっ子だし他に保証人になってくれる人などいない。念のためにと私の収入も聞かれた。もちろん私の収入や義母の年金では足りない。

実家を処分したお金で払います」と言って助かった。もし売却が間に合わなかったら義母の行く先が無くなるところだった。

 その時こちらの要望も伝えた。今は点滴で命を繋いでいるけれど、義母には何か口にさせてあげたい誤嚥のリスクは受け入れるから。その時点では医師から了承されていたけれど後々ひっくり返されることになり、少し後悔していることのひとつ。

 

 私は孤独な介護ではなかったけれど、どう頑張っても手が足りなくて疲れ切っていたし人手を補うお金も無い。そんな時きっと優等生な親族ほど自分の生活を捨てて介護に尽くす。

自滅するまで尽くしても誰も幸せにならない。だから不十分だと思いながらも、私たちは優等生をやめることで生き延びた。