いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母が亡くなったことは秘密

 義母の火葬(2018年11月21日)から3日後の24日土曜日、私は義父が入居している施設へひとりで冬服を持って行った。夫は事切れたかのように鬱っぽくなり、また動けなくなってしまったから。

 入所から3ヶ月が経ち、義父は相変わらずベッドで寝ている。でも顔色はいいし、声をかければ話も出来る。ただ食事が終わると早く自分の部屋に戻りたがる。座っているだけでも疲れるらしい。チラリと見えた義父の足の指は、まだ壊死していた。

 その足を診せるため、翌月も2回通院の予定がある。その施設は、必要があれば月に2回までは施設の車で通院をさせてくれることになっていた。それは、施設選びの際に気に入った条件のひとつ。

でもどうしても人手が足りないので「ご家族にお願いしたい」と言われた。また私が仕事を休んで付き添わなくてはならない。しかも介護タクシーを使うことになるので余分な費用がかかる。もう考えても仕方ない。

 義父は糖尿病なのに、実家にいたころよく隠れてお菓子を食べた。でもここでは買い食いは出来ない。「おやつは出るんですか?」と聞くと、まったく出ないという。3ヶ月も全然食べていないのに文句を言わないのか。

持って行ったラジオも喜んでくれたので、私はコンビニで電池とおやつを買って来た。あんこが大好きだから、小さな最中をひとつだけ。義父はベッドに横になったまま喜んで食べた。

私は何度もそんな風に、義母とふたりでおやつを食べたのを思い出す。義父ともこうして喜んで一緒に食べられるのは、うれしいことだと思った。

(卯木=ウツギの花言葉は、”秘密”、”古風”)

           

 義父はやはり義母のことを「様子はどう?」と聞いてきた。義母が亡くなったことは内緒にすることにしてある。だから私は、少し前の義母の様子を現在のことであるかのように話した。

病院での別れの後にも聞いた通り、義母の「変わり果てた姿は見たくない」と再び言った。「イメージが壊れるから」「冷たい思いではないんだ」と。それは嘘ではないと思う。妻の元気な姿を記憶しておきたいのだとわかる。

でも妻の立場では、それは寂しいなとその時の私は思った。自分が寝たきりになったらその姿を否定されてしまうのかと。

(義両親の最後の対面の話はこちら)↓

 今になって少し考え方を変えた。義母が生きていたらどう思ったろう。義母も、自分が義父より長生きして世話をするつもりでいた。だからやつれた姿を義父に見せたくなかったろうと思う。そんな意思表示をする余裕もない別れだったけれど。

残念ながら義母が先に逝ってしまった。けれど本当は、義母が元気なうちにお別れすることが、義両親双方が思い描いていた姿だったに違いない。