いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母の火葬後も予定は山積み

 義母の火葬(2018年11月21日)から2週間後の記録。平日しか出来ない用事をこなすため、休みをとった日はスケジュールが山盛り。その日の予定は、

①義父の入所施設へ(介護計画書の確認etc.+義父に誕生プレゼントを渡す)

②義父の通院(壊死した足の指の診察)

③夫と待ち合わせて本籍地へ(戸籍謄本と義母の除籍票の取得)

年金事務所(③が間に合えば義母の未支給年金請求のための書類提出)

 ます①、夫はやはり起きられず私ひとりで行く。義父の誕生日が近かったので、メッセージカード、おやつの詰め合わせ、義母が元気だったころの写真を持って行った。どれも喜んでくれる。袋に詰めたお菓子を「ひとつ選んでください」と言うと羊羹を取った。やはり🍡和菓子好き。一度に全部食べるわけにはいかないのに、部屋に食べ物を置くのは禁止。残りはスタッフに預けて1日に1個ずつ渡してくれることになった。こういう配慮はとてもありがたい。

 その月の介護計画書に押印した。毎月押印しなくてはならないので、次回からシャチハタを預けておくことにする。システムが現実的でないなと思う

 

 ②病院へは「人手が足りないのでご家族にお願いしたい」と言われていたけれど、施設長が車で病院まで送り迎えはしてくれた。高額な介護タクシーを使わなくて済む。

提携している病院でレントゲンを撮って診察すると「左足の小指と薬指の骨が腐っている」。これ以上悪くなるかはわからないけれど、とにかく痛むらしい。毎日洗って包帯を取り替える際に足を引っ込めるという。我慢強いので声は出さない。

医師は義父に再び切断するかと聞いた。義父は判断できないらしく「おまかせします」という。私は「夫に相談します」と言って次回の通院日に答えることになった。

 それから施設に戻って結果の説明や次回通院の打ち合わせ。(過去に足の指を2本切断した話はこちら↓)


 ③なんとか動けた夫と昼過ぎに待ち合わせて本籍地の役所へ。夫は直系の身内なのですんなり書類を取得できた。(夫が行けない事態に備えて委任状も用意していた)。その場で年金事務所に電話したけれど繋がらず、また予約無しで行く。

 ④予約していないため年金事務所で1時間程度待ったものの、無事に戸籍謄本etc.を提出して手続きは終了。義母の件だけでなく、義父が過去に船員保険に入っていたことや、旅館で働いた経験があることも知った。夫も知らなかった話。

生きているうちに、もっと色々聞いておけば良かったと今になって思う。私は義母とは結構おしゃべりしたけれど、義父の人生はあまりわかっていない。それは夫も似たようなものだった。

            

 無事に予定をこなして帰宅できてホッとした。実は③と④の間に、たまたま見つけた猫カフェに入ってみた。余裕が無くてもたまには楽しみたいし、不調でも無理して動いている夫の気分を盛り上げたかった。

猫カフェはある意味の天国。1時間程度、夫は喜んでさわったり話しかけたり写真や動画も撮りまくった。義実家の愛猫だったノンちゃんに似たサビ柄の子もいて、私もうれしかった。