いつか愛せる

DVのその後のことなど

おとなになったら「オスカルになりたかった」

今週のお題「おとなになったら」

 中学生のころのかなりアホらしい夢を思い出した。当時からベルばらマニアで宝塚が大好きな演劇部員。同じ趣味の友人とたった3人で、体育館でベルばらのダイジェスト公演をしたこともあった。(私はフェルゼン)なんか思い出すと「う!」と胃が縮む気がする。中学生って怖いもの知らずだ。

 あのころ思っていた。もう少しおとなになったら、オスカルの衣装を作って着てみるんだ!と。私の癖っ毛はコンプレックスだけど、おとなになったら上手な美容師さんに頼めばオスカルカットにしてもらえるはず。身長だってまだ伸びる。

 生まれる時期を少し間違えたかも知れない。私が現代の若者なら、きっとコスプレにチャレンジしたはず。露出系は絶対に出来ないけど、とにかく痩せていたから漫画らしい細身キャラの衣装を自作したに違いない。

           

 おとなになったら、今は出来ないことが色々出来るようになると思っていた。それは金銭的にも技術的にも。体育館で上演したベルばらの衣装は、家にある服に飾りを縫い付けただけ。でももっと本格的にカッコいい衣装を作れると思った。

それにもうひとつ。おとなになったら、周りのおとなに文句を言われずに好きなことをやれると思った。怖いもの知らずの中学生でも、お金を使って大掛かりなことをしたら怒られると思っていたから。

 どうしてあそこまで遠慮がちな子どもだったのか。一度観たら興奮でしばらく眠れなくなるほど大好きだった宝塚を、年に2~3回しか見に行かなかった。安い席ならもっと観に行ける程度のお小遣いはあったのに。

それは、そんなに何度も行ったら叱られると思い込んでいたから。せめて「行ってもいいか」聞けばよかったのに。

 こうして書いてみると、私の考える「おとな」には2段階ある気がする。

1段目は自分のやりたいことを出来るようになること。

2段目が責任を持って他者のお世話を出来るようになること。

2段目は子育てだったり、仕事で人の上に立つことだったり、何かを教える立場になることだったり、介護することもそうかも知れない。1段目は社会人になれば実現しやすいけれど、2段目は難しい。多分いくつになっても「まだまだ」と思い続けるものだと思う。

ああ、3段階目もある。

歳をとって2段目から降りなくてはいけない時にきちんと降りることも、きっとおとなの仕事だ。3段階目はさらに難しい。

 

 そうそう。オスカルの衣装を宝塚大劇場の近くの写真館で着られると知った時、私は30代後半。もっとお肌が艶々のころに知りたかった・・・オスカルになり損ねた。

でも、どうせただ衣装とカツラを付けても駄目。自作と違ってジャストサイズではないし。それに役になり切らないと、表情が自分のままで写真を撮っても恥ずかしいだけ。オスカルの生き方を理解して演ずるのは難しい。