いつか愛せる

DVのその後のことなど

ベルサイユのばら友の彼女

◆劇場版アニメはどうした 2022年9月に「ベルサイユのばら」劇場版アニメ制作決定が発表されましたが、以降音沙汰無しです。また頓挫したのでしょうか?(2006年にもYOSHIKIの音楽担当で制作と発表されたそうです)

池田理代子オフィシャルサイトにも情報がありません。原作者は冷遇されるものだと最近の事件でわかりましたが、情報が入らないのかも知れません。(私は原作にこだわるのでアニメの絵は好きではないけれど、↓このスーパードルフィーのお人形は好きです)

             

 映画の件で、私はベルばらがきっかけで知り合った友人に思いをはせています。

 

◆池田理代子ファンクラブ たった一度しか会ったことのない長年の友人がいます。女性ですが「くん」付けで、この年になった今もMくんと呼びます。高校1年生のとき「池田理代子ファンクラブ」のお茶会で知り合いました。(念のため、少女漫画や宝塚ファンなどがアルコール無しで集うことをお茶会と言います)

このファンクラブ、登録すれば誰でも入れるわけではありませんでした。自分の似顔絵入りプロフィールと理代子先生の作品への感想を送ることが条件で、私は15歳で受験勉強そっちのけで応募した記憶があります。

◆Mくんとの出会い お茶会の際、交流目的で全員がプレゼント付きの手紙の交換をしました。持ち寄ったプレゼントと手紙がシャッフルされ、私の手元に来たのがちょうど同い年のMくんのもの。いきなり住所など個人情報を知らせるとは今では考えられませんが、全員がベルばらや「オルフェウスの窓」を愛読する若い女性です。私は帰宅後、Mくんに躊躇なく個人的に手紙を出し何度か文通しました。

◆一度の対面 お茶会ではまだ互いに顔を知らず、お会いしたのは宝塚観劇でした。たまたま東京宝塚劇場の3階席のチケットが2枚手に入り誘ったのです。ベルばらではなかったと思いますが、互いに宝塚も好きでした。当日はMくんからのプレゼントだったぬいぐるみを目じるしにしました。住所や文体からも何となく感じた通り、Mくんは育ちのいいお嬢さんという印象でした。

今のところ彼女と実際に会ったのは、10代だったそのときただ一度です。理代子先生のファンクラブも(復活しているかもしれませんが)消滅してお茶会も無くなっていました。

◆2度目のチャンス 20代のころ私は劇団に所属していて、公演にMくんをご招待しました。久しぶりに会おうと互いに喜んだのに、残念ながら会えずじまい。お花を持って銀座まで来てくださったそうですが、どうにも体調が悪く断念して帰ったとのこと。まだ携帯電話もメールも存在せず、当日の連絡はとれない状態でした。

それからふたりとも結婚したりして、年賀状だけのやり取りになりました。年の一度の短いやり取りだけですが、互いの状況の変化を何となくわかっていました。

◆3度目のチャンス 次は30代の終わりごろ。私はDVから脱出して自分が好きなものを取り戻そうとしていました。そんなとき都内でベルサイユのばら展があり、Mくんを思い出して誘いました。当時はメールのやり取りで、互いに派遣で働いていることがわかりました。ところが当日、Mくんはどうしても仕事が終わらず時間内に来られないと連絡がありました。私も業務後に少ない時間でしたが、ひとりでオスカルの原画や、本物のアントワネットの衣服や、オスカルが着用した(そっくりに制作された)ドレスを見学しました。

Mくんとは、まるですれ違いまくる悲恋のようだと思いました。

◆4度目のチャンスは? 今も年賀状で「会いたいですね」と言いながら、何となく互いに抵抗もあるかなと感じます。だって10代のころに一度会ったきり。見た目の変化も互いに恐ろしいし、美しいものをキラキラした目で追っていたころの仲間と会って、話がはずむだろうか? 互いが歳をとって背負ったものを知らせるかどうかも、また悩みます。ご両親の介護の話がチラッとあったから、彼女が外出できない可能性もあります。

それでも、私はこのアニメの劇場公開を4度目のチャンスにしようかと、年賀状にお誘いを書いてみました。でも今回は、きっかけの映画やらずで会えないのでしょうかね😢