今ぐらいの季節、晴れた炎天下の昼下がりには、なぜか終戦記念日に玉音放送を聞く日本人の姿が思い浮かぶ。セミの声がこの記憶の呼び水になっている気がする。実際に見たわけではないのに、まるで自分の記憶のように浮かんでくる。
強い夏の日差し。乾いた土の色。緑の木々と騒がしく鳴くセミの声。他には何の音もしない。
直立不動で校庭に整列させられた小学生たち。あるいは自宅や職場のラジオの前で、固唾を飲んで聞き入る人たち。ブツブツとノイズの多い放送が始まる。
意味のわかる幾人かの人たちは泣き崩れ、子ども達は意味がわからずにキョトンとしている。大人でも理解できない人は多く、隣の人に質問したりする。ラジオのノイズが酷いのと、天皇陛下の言葉が一般の人々と違って難しかったからか。
これらが浮かぶのは、ニュースやドラマや映画で繰り返しこの光景を見たおかげ。こんな記憶を持っていると、自分が日本人だと実感する。今はもう見たくないから我が家はテレビを手放したけれど、この記憶は過去のテレビの功績と言えるかも知れない。
時節柄か、自分が日本人だと再認識するようなニュースがちょっと続いている。
「キノコ雲は非人道的」とならないアメリカの原爆観。識者に聞く、映画『バービー』と原爆ミームの背景
https://news.yahoo.co.jp/articles/4275e155464f6cf991189b705b04ea681cbdf06d
ああ、他国はこんものなんだなと思った。でも当然か。日本人でさえ、キノコ雲をギャグで使った人、過去にはいたと思う。あるいはハーケンクロイツをファッションで使うこともあったはず。
意味を知らない、あるいは考えない人に伝えることは正しい。日本人も(国でとしてでなく個人のようだけど)他国に物申すようになったのはよかったと思う。仮に映画の出来が良くて日本でヒットするならば、マスコミはこの経緯も必ず同時に広めてほしい。
「名作が古典になっていく、過渡期にある」 あの戦争が遠くなるなかで、『はだしのゲン』を読む
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6471410
私も子どものころ「はだしのゲン」の絵が怖かった。友だちの家にあったのを所々読んだだけでも、強く印象に残っている。
仮に残酷な描写がなくても絵柄は好みではない・・・でも、解説を見て最後まで読んでみたいと思った。夢に出てきそうで勇気がいるけれど。それに、読み継がれてほしい作品だと思った。