いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母が亡くなった日(その①)

 お盆が近づいたけれど、我が家はイベント的なことはしない。ただ、思い出して祈ることはするかな。義母が亡くなった日のことを、記憶だけで昨年の命日に書いた記事がこちら。


 上記の記事では細かい時間が違うし、夫の状態が少し安定していたというのも勘違いで、実は動けたのが不思議だった。

 今回は当時のメモを確認して書く。その前に、亡くなる8日前にお見舞いに行った時の記事はこちら。

 

 記事にある通り2018年11月10日(亡くなる8日前)にお見舞いに行った時のこと。義母への「インフルエンザの予防接種はどうされますか?」と聞かれている。

義母はもともと予防注射を好まない。もちろん夫は断った。本人を余計に弱らせる可能性がある以外、何の意味があるというのか。

仕方ないのかも知れないけれど、機械的に質問するんだなと思った。もしYesと言えば、亡くなる前の週に予防接種をされたのか。

              

 2018年の11月18日、日曜日の朝6時ごろの電話は嫌な予感。義母の意識レベルがかなり下がって、いつ亡くなってもおかしくないらしい。「すぐ来られますか?」と言う。夫が動けるかどうか不安だったけれど「行きます」と答えた。

長丁場になることを考え入浴してから行くという選択の失敗は、昨年に書いた通り。夫にスープだけは飲んでもらい、空腹に備えてゼリー飲料をバッグに入れた。タクシーで病院についたのは7時半ごろ。

 義母は目と口を開けたまま反応しない。目は潤んでいた。かすかに呼吸と脈はあるのに、私たちの声は聞こえていないのか。看護師さんが頭を持ち上げて大きな声で呼んでも反応しなかった。

着いてすぐ、私が義母の額に手をあてた時は暖かかった。でもあっという間に冷めてきたと感じる。医師が来て、死亡宣告をしたのが7時50分。亡くなってからも少しの間は、脈など体は動き続けるらしい。夫と私がすぐ飛んで行けば、ギリギリ間に合ったはずなのに·····

 

 あとは看護師さんに色々と聞かれる。「もう機械を外して(=蘇生しなくて)よろしいですか」「ご遺体の着替えはありますか。病院の浴衣でいいですか」「関わりのある葬儀屋さんはありますか」

 浴衣に着替えさせてもらい、その間に私たちは荷物を全部引き上げなくてはならない。死亡=退院。義母は頬がひどく痩けてしまったけれど、チークで綺麗な色にしてもらえた。そこは病院側の善意。

病院に紹介してもらい呼んだ葬儀業者さんは、1時間ちょっとで来ると言う。その間、義母は霊安室に運ばれた。少し寒い場所。恐らく遺体の腐敗をおさえるため、暖房をつけない。あれよあれよという間に病室から移された義母は、ご遺体と呼ばれた。私たちの感情は取り残されたような、少し混乱するような・・・

 前の週に5個入りの箱ティッシュを買ったばかりなので、ティッシュがたくさんあって役に立った。涙と鼻水のためにたくさん使えた。どうせ残りは引き取って持ち帰らなくてはならない。いっそ使い切ってやりたいと思った。