いつか愛せる

DVのその後のことなど

当たり前だけど苦労はDVだけじゃない

 かなり前に、お気楽に思った。「DVでこれほど苦労したからもういいよね。人生後半は平穏に生きていけそう。一生分の苦労の大半は終わったかも?」と。

それに、もうちょっとやそっとの苦労では負けないという自負まであった。

 甘かった・・・甘すぎた。人生なめていた。

以前に書いた通り、DVはありふれた大きな不幸のひとつにすぎないと思う。

manaasami.hatenablog.com

 次に来たのもありがちな苦労で、おもに介護。

夫はひとりっ子の上に親戚付き合いが少ない。それは妻の立場では気楽だったけれど、いざという時に助け合える人がいないことでもある。

夫の両親が高齢になっても、初めのうちは夫とふたりで対応できた。苦労はあるけど乗り越えられるとやや楽観視した。

 ところが人生は何が起こるかわからない。丈夫だと思っていた夫が、原因不明の不調で動けない日がどんどん増えた。いつ動けていつ動けなくなるかさっぱりわからない。段々本人のメンタルも悪化しアルコール依存も再発した。

 夫は何度も「このまま死んじゃうのでは?」という状態になった。一番ひどかったのは2017~2018年ごろ。義母が亡くなったのが2018年で義父は2020年だから、義両親の介護が大詰めの時期と重なる。

ふたりの入院も転院も家と土地の売却や後始末も・・・あれやこれや私ひとりで動かなくてはならない事が多かった。

 義実家の介護に奔走していた時期なのに、日記もどきのメモに残っているのは、ほとんど夫のこと。やはり夫の両親より夫のことを心配していた。

 夫は動けない時はトイレに這って行くのも困難だった。だから私は仕事しても、実家の件以外でも急な休みや早退を繰り返した。有休休暇はとっくに使い切り、介護休暇を使ってもどうにもならない。

「そろそろ会社クビになるかな・・・」と漠然と思いながら生きていた。それで無収入になったらどうするのか考える余裕すら無かった。

 

 でも、もう、本当~~~にありがたいことに。クビにならなかったし、夫の体調はかなり改善した。義両親を何とか見送ることも出来た。

色々な予定をドタキャンされたけれど、それでも「絶対に夫でなくてはならない」という場面では奇跡的に動いてもらえた。家を売るのに義母を説得する時とか、延命措置の有無について医師と話す時とか、あとは葬儀の時も。

 そういうこともこれから書くけれど、介護の話題と夫の話題を同時に書くのが難しい。

私はブログ記事のカテゴリーを「ドメスティックバイオレンスからの回復」と「介護と実家の話」で分けているものの、自分にとっては「人生」で同じカテゴリーだと思う。

 ちなみにDVを受けていたころと介護でいっぱいのころとどちらが苦しかったかと聞かれたら、「どっちも!」としか答えられない。

多分、誰にとっても「過去の苦労よりその時現在進行形にある苦労が大変」なのではないか。私はようやくどちらも過去になった。