いつか愛せる

DVのその後のことなど

義実家での最後のお正月

 年末が迫ってきたなあ。義両親と過ごした最後のお正月を思い出す。明確に決めていなかったけれど、大抵元旦は夫の実家へ行き、2日は私の実家へ行っていた。

義両親が要介護になってからお節料理はほとんど用意しなかったものの、義母は甘い物好きな義父にお汁粉を作ってあげていたはず。ただ、最後の年はもうお料理は無理だったのではないか。よく覚えていない。

 義母が動けたころは、私が買っていったお正月用のお花を義母が生けてくれた。お花に何の興味も示さない男性陣しか居なかったから「花器に似合っていいですね~」と言うと喜んでくれた。でも最後の年は、そのまま飾れるお花のアレンジメントにしたと思う。

               

 私たちはトランプやUNOを持って行った。前年のお正月には義両親と私たち4人でトランプを楽しめた。夫は独身時代には両親とそんな経験をしていないそうで、それだけでちょっと親孝行できたのではないか。

でも最後のお正月は、義母と私たちの3人でトランプをした。義父はもうテレビの前の定位置から動かなかった。少し残念。

そうだ。恥ずかしいことながら、私たちは最後の年まで毎年お年玉をいただいていた。むしろこちらからあげなくてはおかしい歳なのに、夫は働けないし年齢に関係なく心配の対象だったろう。いただくことが親孝行になる場合もあると思った。

 

 夕方帰宅して間もなく、義母から夫にわざわざ電話があった。「どうもありがとう。良いお正月になりました」と。

少し不思議に思った。例年と特に変わったことをしたわけではなかったから。夫が不調で実家へ行けないことが多かったから、来てくれて良かったという意味だろうか?

 義母に何か虫の知らせがあったのかどうかはわからない。義母は後に再入院してからも頑張る気満々だったから、自分の寿命を知るはずもない。

でもとにかく、最後のお正月が良いお正月であったなら、それはとても良かったと思う。

そして、こんな風に言われた側の記憶に残るなら、感謝は時期を逃さずに伝える方がいいのだなと思う。