いつか愛せる

DVのその後のことなど

加害者との対話を求めること(その2)

 この記事は11月15日の「加害者(←この言い方は嫌いだけど)との対話を求めること」の続きです。よろしければこちらをお先にどうぞ。

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「謝罪の意味」で書いたように、DVでうけたダメージからの回復初期には「わかってほしい」という思いが強かった。

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 そう自覚して後に、長い時間をかけて「わかってもらえなくても大丈夫」に変化した。それが回復のひとつの指標だと今は思う。

 

 一方、15日に書いた「なぜ加害者に会いたがるのか」では、「知りたい」という思いが強い。「わかってほしい」と「知りたい」が両方あるのだから、会いたくて当然。コミュニケートするしかない。

 ただし「わかってほしい」も「知りたい」も、コミュニケーションで叶うとは限らない。相手はわからないかも知れないし、こちらも相手の話を理解出来ないかも知れない。だから会って話すことが必須ではないし、万能でもない。

 それでも修復的司法には専門家が介入した事前準備があるはずなので、個人対個人で会うよりは有意義な結果になる可能性が高いと思う。

 

<わかってほしいについて>

 私の場合、夫にわかってもらえて癒されたのではない。さすがに全くのゼロでなく何某かの認識はしてくれたろうけれど、理解はされていないと思う。(←これは悪口ではなし)

夫と話して理解してもらうのは無理だと納得できたことが、当時の私の収穫だった。

 それは夫個人に絶望したのではなく、理解できる人は滅多にいないという認識。人に頼らず自分で癒されて立ち上がるしかないと思えたこと。

更に、夫は想像力を使って人に共感することが極端に不得意であることも知った。一般的に女性の方が共感能力が高いそうなので、夫が変なわけではなさそうだ。

 会えないのと、会って話してもわかってもらえないのは似ているようで違う。後者の方が納得しやすい。

 

<知りたいについて>

 なぜ自分が被害をうけたかでなく、なぜ相手が加害に及んだのかなら、相手から聞ける可能性がある。

我が家の場合、直接的なきっかけを私がつくっていても、根底にあったのは八つ当たり。本当の原因はほぼ夫の中にあった。それを明確に知ることの意義は大きい。

 一方、自分が暴力を受けたことの意義は、相手にはわかりようがない。自分で答えを出すしかない。

 20年を経た私の結論は、知るのではなくこれから決めるということ。

先に意義を知りたいと思ったけれど、意義は自分で創っていくものだった。被害にあった後をどう生きるか。生き方次第で大きな意義を見出したり何か発見したりする。不幸でしかなかった経験が自分の糧に変わる。

 わかってから進みたかったし、そうしないと進めない気がした。でも実際に進んでから気づけることだった。