いつか愛せる

DVのその後のことなど

謝罪の意味(その2)

これは10月30日の「謝罪の意味」↓の続きなので、よろしければこちらをお先にどうぞ。

manaasami.hatenablog.com

 

 謝罪を求める真意は何だろう。私は「わかってほしい」欲求だと思う。この記事を書いて、その思いが呆れるほど強かったのを実感した。

相手によって一生残る深い傷をうけたこと。人生を変えられてしまったこと。そこから立ち直ろうとしても出来なくて情けなくて、さらに惨めになっていること。

 そんな風に自分が別人のように変えられてしまったことを理解してほしい。

 

 さらに言うなら、ひとりで抱えることが辛すぎて相手にも背負わせたい。

私の場合は対象が夫なのでまさに痛みを共有してほしかったし、相手が他人なら、贖罪として牢屋に入るなりお金で償うなりさせたい。とにかく相手にも背負わせたい。

そういった理解や覚悟のない謝罪に、どれほどの意味があるだろう。

 

 かなり前に、DVやモラハラで離婚した女性が「たったひとこと謝ってほしいだけなのに」と書いているのを見た。

私は「ひとこと謝られて気はすむのかな」と考える。その女性は、完璧に真摯な反省や思いやりを含んだひと言を連想していたのだろうか。

そうでない謝罪なら、軽過ぎて精々気休めにしかならない。

 それとも「自分が悪かったのではない」と納得したかったのかな。洗脳が解けても感情はぐらつくから、相手の謝罪で自分の無実を確認したかったのかも知れない。

いずれにしろ、謝罪で一歩進めるとしても癒しには程遠い。

 

 時に、事故や事件の被害当事者が相手に会わず謝罪を拒否するのは、謝罪で済ませたくないからだと思う。

謝られても当事者は元には戻れない。自分は一生背負うのだから、相手が忘れて元の生活に戻ることをゆるせない。

 

 DV状態にあったカップルの加害側が暴力を自覚してやめた後、関係の逆転が起こることがあるという。実際にそんな状態で、妻から暴力をうけている男性とも掲示板で出会った。彼は何とか離婚を回避したくて、その状態に耐えていた。

 恐らくそういう状態の女性たちも、謝られてもゆるせないのだと思う。きっといくら謝られても「あなたはちっともわかっていない」と感じるし実際に全部は理解できない。

他にわかってもらう方法が無いから同じ目にあわせたくなるのかな。

でも多分、いくら仕返ししても「自分の方がもっと酷い目にあった」という思いは消えない。傷付けたことより傷つけられたことをよく覚えているのが人間の特性だから。

 

 人が他者を完全に理解するのは不可能で、一部わかるのは同じことを経験した当事者。私も当事者でない事柄については、自分の経験に照らし合わせて想像することしか出来ない。

 かなり早い段階で私は夫にわかってもらうのを諦めた。せめて想像力を働かせてほしかったけれど、それも期待するのはやめた。

彼は似た経験すらしたことがないし、性格も私とは違いすぎる。出来ないことを望んでも意味がない。

 だからわかってもわからなくてもいい。私は夫に癒してもらうのでなく自分で立ち直る。夫から癒される機会がもしあれば、それはラッキーと考えて感謝する。

 

 そういう生き方にシフトできたおかげで私は楽になれた。だからゆるすかどうかも回復するかどうかも、謝罪とは関係ない。