いつか愛せる

DVのその後のことなど

まず自分をゆるす

 参考になる言葉をいただけたことだし、自分が出したい本の下書きになる予定の記事を書く。矢川冬さんがおっしゃったのは「正しい許し=自分を許す」ということ。私はまだ「赦す」と「許す」の使い分けの整理がついていないので、あえて平仮名で「ゆるす」と書く。

 そうかあ。矢川さん他、多くの被害当事者は自分をゆるせていないと知った。なのに「相手をゆるせ」と言われるのは、論外で滅茶苦茶な話。

何も知らない一般人ならまだしも、支援職の人がそれを言ったら私は怒る💢 自分をゆるせていないと知ってか、それとも関心すら無いのか。いずれにしろプロ失格。

 でも実は、某セラピストさんが「ゆるさせるのが目的」発言をしたという気持ちも、少しだけわかる。かつて私は「ゆるすこと」が不変的な正解だと思っていた。だからもしあのころの私が、自分の経験だけを携えて他の人を見ずに資格をとったら、当事者を傷つける支援者になった可能性がある。何て恐ろしい···支援職を目指さなくて本当によかった。(黒百合の花言葉は「呪い」「復讐」「恋」)

           

 自分をゆるす話に戻る。被害当事者は、自分が悪いわけではないのに自分を責めることが多い。そのことを書いた本はあるはずなので説明は任せたいけれど、私がその立場だったらと想像した。

「被害を回避できなかった」「うまく逃げられなかった」ことを責めそうだと思う。大きな傷をうけてしまった自分自身に申し訳ないと考える気がする。

 では、現実の私自身の罪悪感はどうだったかな。DVの中では間違った罪悪感があった···夫が世間に迷惑をかけることに関して。ほぼ無意識に、夫のコントロールは妻の義務だと思っていた。

 幸いとっくに成人していたので途中で気付けた。やらないのではなく出来ないのだと。出来ないことに罪悪感を持つのは間違い。だって刃物を振り回して外に飛び出すようなアル中男性を、私の力で止められるはずがない。もし無理に止めようとしたら、刺されて新聞の三面記事に載るだけ。彼を止めるのは私の義務のはずがない。アルコール依存になったことも本人の責任。

今の私から当時の自分に言ってやりたい。「他者の、ましてや成人男性の責任を被ろうなんて、傲慢だよ」と。それは本人に返すべきもの。

 他者の責任をもつことをやめてから、少しずつ状況は変わり始めてやがて変化に繋がった。でもそこではまだ問題は解決せず、今度は閉じ込めていた感情の爆発で苦しんだ。それでやっと、相手をゆるすことに本気で取り組んだ。今度はそれが正しいからではなく、自分を楽にするために。(今になって整理して書くとこんな感じだけれど、当時はもっと混沌としていたかな)

 だから、私の勝手な想像で素っ頓狂なことを言っているかも知れないけれど・・・子どもだったころの幼い冬ちゃん(←勝手に愛称にしてすみません)に言ってあげたい。「いっぱい頑張ったね」「出来ることは全部やったんだね」って。