いつか愛せる

DVのその後のことなど

続4「赦しに興味はないですか?」ゆるす難しさ

 多分、世界中の哲学者や神学者やメンタル系の専門家が、昔から取り組んでいる課題。私も20年ぶりくらいで「ゆるし」について考える。素人が追求したって🤔別にいいよね。知識がなくても経験はある。臨床例を知っているというより本人だから、堂々とサンプル化する。

 以前に、私にとって「ゆるすのは自分を癒すことの一部」と書いた記事 ↓ をもう少し詳しく考える。

 ゆるしの前に「被害者」の意味を調べた。私もかつては自分を被害者だと思い、だから相手を赦すことに関心を持った。

①被害を受けた人。

②他人の不法行為や犯罪によって権利の侵害や損害を受けた者。民事上は損害賠償の請求,刑事訴訟法上は告訴ができる。

 

う~ん、②のように不法行為だけが加害ではないので、次は「被害」の意味を調べた。

★損害·危害を受けること。また,受けた損害·危害。

 なるほど、損害や危害は受けた。では私がすでに自分を被害者だと思っていないのは何故? 被害をうけた事実は変わらないのに。

①すでに被害をうけていない。 ②過去の被害による傷は(傷跡は消えなくても)とっくに癒えている…辺りかな。(写真のネモフィラ花言葉は「あなたをゆるします」)

            

 被害の内容にもよるけれど、ゆるすって本当に本当に本当に・・・・・😭難しい。被虐待経験者が「ゆるせない」「ゆるさない」と思うのも当たり前。

だから上から目線で「ゆるすべき」などと言う人には「そういうあなたは同じ経験をしてゆるしたのですか?」と突っ込みたい。

 私は、必死に取り組んでゆるしたからこそ思う。人に言われて出来ることじゃない。自分の意志でなければ誰が出来るかと思う。道徳なら理解すれば従えるけれど、ゆるせないのはほぼ感情、あるいは全身全霊というイメージではないかな。

 私が取り組んだ20年くらい前には、毎週教会に通っていた。だから毎回何度も祈った「ゆるせますように」と。でも不思議なことに、その祈りはいつも3分と続かない。なぜか苦しくて続けられなかった。

やがてその理由がわかる。当時の私の本心は「ゆるしたい」ではなく「癒されたい」だったから。神様と向き合う祈りの時には偽れない。そうして私は、まずは傷が癒えないとゆるせないと理解した。それからは「癒してください」という祈りに変えた。

 そういう経緯があったので、もっと後に知り合った小松原織香さんの経験は新鮮な驚きだった。当時学生さんだった小松原さんが、私の掲示板を訪ねて書いてくれた。相手に「赦します」と宣言したことを。

いきなり「赦します」ですと? まだ被害をうけてホヤホヤでズタボロの状態で? 

そして思った。そうか、自分の心ではゆるせていなくても、先に口に出してしまうのもありなんだなあ。

 彼女の方も、周囲に「赦し」を語り合える人が存在しなかったとのこと。だから当時の私と小松原さんは、互いに相手を「見つけた」という感覚を持ったのだと思う。