いつか愛せる

DVのその後のことなど

野生のカンは誰にでも発動できる

 力石のお葬式シーンまで見終わってしまい、無料視聴はここで終わり。ジョーの涙が切なかった。我が家はあした以降「あしたのジョー」ロスに陥る。ジョーがプロになってからはあっという間だった。

            

 太く短く生きるキャラクターには、今の時代だから更に魅力を感じるのかも知れない。原作の後半はずい分前に見たきりで記憶が薄いけれど、ジョーの最後の対戦相手の世界チャンピオンはまったく逆のタイプだった。妻子もいて自分の健康を維持しながら戦う人物。そういう生き方が利口だと思うけれど、魅力があるのはジョーの方。

それに試合には勝ったものの、チャンピオンは恐怖で精神的に大きなダメージを受けた···と思う。もしかしたら引退に追い込まれたかな。まるでジョーVS力石戦と立場が逆。

 

 ジョーは少年院にいたころから、幾度となく試合中に呼び覚まされた「野生のカン」によって勝利した。それは学んだテクニックや日常の経験による力を上回る。

 話がまったく異なり過ぎて申し訳ないけれど、ふと「私もこういう経験をした」と思った。野生のカンは格闘技以外でも発動する。

絶体絶命の(実際どうかは別として本人がそう感じている)時に、通常の自分ではありえない発想が湧く、いや天から降ってくるのかな。そして通常ならありえないのに、火事場の馬鹿力でそれを実行する。窮鼠猫を噛む。

私の世間に対する価値観が変わった事例のひとつがこれ↓

manaasami.hatenablog.com

夫とパソコンをめぐる攻防が変化した事例がこれ↓

manaasami.hatenablog.com

あるいはブログには書いていないけれど、怖くて仕方ないころの夫に手紙を書いたことがある。後になってから夫に、私の「手紙は怖い」と言われた。何だそれ?

 つまり野生のカンとは、生き抜くための本能が発動することなのかな。ジョーは年中そういうところに自分を置いて生きたので、本能が活性化していたと思える。

丹下団平はジョーの運動神経のみならず、そういう性質に惹かれてスカウトしたはず。私などは、たまたまギリギリまで追い詰められなければ一生発動しなかったかも知れない。

 今回初めて思ったけれど、我が夫(ボクシングとムエタイの経験者)の性格はジョーっぽい。でも惜しいことに😅顔は似ていない。若いころの体格は似ていたかな。ジョーのようなタイプと結婚すると苦労するという見本が私?

 ところで、子どものころの私はサチと紀子の中間あたりの位置に自分を置いていた。そして白木葉子になりたいと思った。それは見た目の美しさや財閥令嬢という肩書にもあったかも知れないけれど。でも一番の理由は違うと今回わかった。

葉子もジョーと結ばれることはない。それでも一番深いところでつながっていたから。

ジョーにとって葉子は多分、異性というよりは力石という大切な人を共有する人物。自分と力石との歴史を知る生きた証人であり、同じ喪失感を持っている。そういう意味で、親代わりの団平さんに負けないくらい大切な人だと思う。