いつか愛せる

DVのその後のことなど

聞こえにくい大切な音

 音楽を聴く際、私はボーカルを優先して聴くタイプ。歌詞の意味と、その言葉をメロディのどの音に割り振って歌うかを覚える。相対音感はあると思うけど絶対音感はないので、伴奏がないとどのキーで歌えばいいかわからなくなる。

 一方、エレキギターをやっていた夫は歌より楽器の音を聞き分けるタイプ。歌詞はいい加減にしか覚えないのに、楽器の音はそれぞれ拾って口ずさめる。耳コピー出来るらしい。

例えば5人グループの演奏なら、5種類の音を同時に聞き分けることになる。モーツアルトか? 聖徳太子か? オーケストラの指揮者までは行かなくても、楽器のできる人ってある意味で天才だ。

 音楽の素養のない私が、洋楽やGSの曲でベースの音を聴くよう勧められた。ベースギターの音は、大抵は低めで地味だ。和食の出汁のように目立たないところで味の基盤を作っているイメージ。

           

 でも低音って聞こえにくい。加齢のせいか? 低音難聴か? 初めはまったくと言っていいほど聞き取れなかった。ベース音を「ブン・ブブン・・・」と口ずさんでくれても「え?その音どこにある?」とスピーカーにへばりつくばかり。

 聴くコツは「耳ではなくハートを使う」だそう。そうか、低音は心臓に響く。何曲かチャレンジすると、少しずつベース音が聞こえるようになってきた。

でもまだしっかり捉えられない。すぐにボーカルやリードギターにかき消されてしまう。あるいは低音を聞いているつもりが、ドラムの音だったりした。確実にある音を聞けないなんて、もったいない。

 

 星の王子さまは「かんじんなことは、目に見えないんだよ」と言ったけれど、肝心な言葉も聞こえにくいものかも知れない。私には、聞こえにくいものがたくさんあると知った。

           

 それはきっと、神様の言葉であったり、自分の奥底にある本心だったり、私を心から心配してくれる人の助言であったりすると思う。それらはベースのようにとても控えめだから。絶対に押し付けがましくはないから。

 逆に、この情報過多な社会には大きな音が多過ぎる。大切な事がボーカルやリードギターやキーボードのように、魅力的に聞こえる音にかき消されてしまう。

10年以上前には、検索しないで質問する人に「ググレカス」と言ったが、今は「ググルカス」とも言うそうだ。つまり、情報が多すぎて正しいものが何かわからなくなる。

 

 我が家は最近テレビを手放したことで、雑音を減らした。嫌なニュースで不快な気分にならなくなった。必要なニュースはそれほど多くはないから、自分から探しに行く。

大切で控えめな言葉を聞き逃したくない。そのため余分な音は減らしたい。ハートで聞いて、大切なものとそうでないものを確実に判別出来るようになりたい。