いつか愛せる

DVのその後のことなど

頭の中を掘り起こして書く

 情緒不安定気味だった若いころ、それともまだ子どもだったころかな。

目の前にある小さな問題から大きな問題まで、自分で選択して実行するのが面倒、あるいは怖い気がしていた。誰かに全部決めてほしい。何から何まで面倒を見てほしかった。

優しくて、私を愛してくれて、常に正しい判断をしてくれる人に委ねたい。私の幸せのありかを知っている人に、全部教えてほしい。さらに、私が悲しいときや寂しいときは慰めてほしい。

こうして書くと、幼児期に親に甘え足りなかったのかなあと思う。私はおとなしくて、大人にまったく甘えない子だったから。

 すべての面倒を見てくれる完璧な人なんて、存在しないとわかっていた。判断を誤らないのは神様だけで、その神様は人間に自由意思を与えている。意志を持てるのは素晴らしいことなのに、当時はそう思えなかった。多分まだ意志がふにゃふにゃで形になっていなかったから。

私の幸せが何かわかるのは私自身だけ。「敷かれたレールの上を歩きたくない」と考えるのが普通の若者だから、私はどれだけ自立心の薄い子だったんだろ?

さらに何歳になっても、そのころの自分がひょっこり顔を出すので困ってしまう。歳をとるだけでは大人になれない。経験値は上がるけれど、成長するためには何歳になってもあがくしかない。(グリーンネックレスの花言葉は「健やかな成長」「青春の思い出」など)

              

 ところで。「パラグラフライティング」を知ってチャレンジしようとしたのに、まるで出来なかった。

だって書き始める時点では書く事柄が決まっていない。タイトルのような要約をいくつか挙げれば本文を書きやすそうなのに、そう出来ない。

書く前に私の頭にあったのは、ふとよぎった情緒不安定なころの記憶だけ。それでも書き始めないと、いつまで経っても書きそうになかったから。

 自分の頭の中を掘り起こすような書き方だから、ぐちゃぐちゃに出てくるのかな。取り合えず地面にスコップを入れないと何も出ない。いざ掘ると、不要なガラクタも想定外の有効なものも出る。泥やゴミまみれで、洗わないと読める状態にならない。そうか😮私が遅筆なのは、素材が自分の頭の中にあるのが理由のひとつだ。

 そういえば「パラグラフライティング」って。ブロックごとに要約を見出しにする書き方なら、私は無意識にやっていたではないの。

プロフィールの自己紹介に貼ってある長い記事は、まさにそんな書き方。

知識はなく読みやすくしようと考えた工夫だった。私は遅筆だし話が飛びまくって散漫な文章が多いけど、もしかしてちょっとだけセンスはあると考えていい?