いつか愛せる

DVのその後のことなど

押印の流儀

 契約書類に会社印や社長印を押す仕事をしている同僚が、契印の位置で悩んでいた。

日本では紙の契約書の中で契約印を押印し、表紙や裏表紙には契印を押す。

 文書の抜き取りや差し替えを防止するためで、慣例として、お客様(甲)が上部に押印し、依頼をいただく当方(乙)が下部に押印する。

               

 ところが、お客様が先に押印した契約書が届き、同僚が押印しようとすると・・・先方の契印(甲)が契約書の一番下の方に押されている! そこはこちらが押すべき位置なのに。

先方の事務担当者が習慣で下に押してしまったのか、それとも無駄な謙虚さを発揮したのか(ならばその謙虚さは迷惑)

すき間があればその下に無理やりこちらの契印を押すが、余白すらない。

「お客さんより上に押して良いのかなあ」2部に押印して1部は先方に返すのだから、こちらが上だと失礼な印象を与えかねない。

 

 契印は必須ではなく無くても契約は成立する。ならば省略しようか。でも先方は押してきたのだし。お客さんより上に押すのと省略するのと、どちらが儀礼として正解だろう。

と一緒に考えて、なんだかすご~く馬鹿馬鹿しくなった。こんなことで悩むのは日本人だけに違いない。

印鑑を人と捉える繊細な感性は嫌いではないんだけど、不便すぎる。

 

 噂によると、企業によっては「お辞儀ハンコ」と呼ばれる謎マナーがあるらしい。

担当者・課長・部長・社長とそれぞれ序列順の場所に承認印を押す際、下の序列の者は自分の印をまっすぐ押すと上の人に対して失礼になるとか!? 

長年OLもやったけど、そんなの最近まで聞いたことがなかった。お辞儀しているかのようにわざと斜めに押すなんて、それは見苦しいし真っすぐの方が見栄えがいい。

 

 幸い私はそんな場所に自分の印を押す機会はないし、今の職場は社長まで含めて全員「さん」付けで呼ぶような、何となく外資っぽい雰囲気の会社。お辞儀ハンコは必要ない。

 そもそもどんどん電子契約が増えているから、いずれ謎マナーは消えてくれるかも知れない。そうあってほしい。

そう言えば、電子契約でも印鑑のような印影を表示できるシステムと、単に承認者と承認時間が記録されるだけのシンプルなシステムが存在する。

 まさか電子契約でも「印影が表示されないのは失礼だ」とか「○○を△△するのがマナー」なんて合理性のないことを言い出す人が・・・出てきませんように。

 

介護にまつわる香りと匂い

 義母は香りにこだわる人だった。シャネルの香水がお気に入りだが要介護になって買うのを諦めていたらしい。

お茶の香りにもこだわった。必ずしも高級品だけを好むわけでなく、私がスーパーで買った安価な抹茶入り玄米茶を「これ美味しいわ」と言ってくれたりした。

 日帰り社員旅行で桃の香りのウーロン茶を買ってきたときも、喜んで一緒にお茶を楽しんだ。糖尿病の義父には少しだけお裾分けして、義母とふたりでスイーツを堪能するのはちょっとした秘密の共有だった。

 

 当然ながら義母は不快な臭いも気にする。玄関や部屋の消臭芳香剤を頼まれたりした。

そんな義母を悩ませたのが、義父の豪放磊落さと言おうか何と言おうか。老化に従い、トイレに行くことまで面倒くさがるようになったこと。

 義父が座る定位置は庭に面した窓際で、ガラッと開けてそこでオ〇ッコしてしまう。ついでにゴミも投げ捨てる。もちろん臭くなるし庭は悲惨な状態になる。

トイレはともかくゴミ箱は義父のすぐ後ろに置いてあったのに、振り返って椅子から立つのも面倒だったのか。「お父さんやめて」という義母の言うことは聞いてくれない。

 

 夫は最初のころは義父に文句を言い庭に水を撒いていたが、途中で諦めた。たまに実家に行けても父から離れた場所で煙草を吸っているだけ。匂いが嫌で絶対に食事はしない。

夫は義母の入院中、義父に強く言いすぎて「わかったよ死ねばいいんだろう!」と言われてしまったので、もう怒りたくなかったのだろう。

 私はまだ義父本人の前では何も気付かない振りをして、ケアマネージャーに相談していた。ケアマネさんははっきり義父に言ってくれた。「ちゃんとトイレに行きましょう」

義父はそのときには素直に了承するのだが、すぐ元に戻る。

次には「尿瓶を使ってください」と用意してくれたが、義父はそれは嫌だと言う。

 

 ある時ケアマネさんとヘルパーさん2人が協力し、ひどい状態になった庭を掃除し水を撒き臭いも消してくれた。私も途中から参加したが、本当にありがたかった。

そして庭に大きめの段ボール箱を置いた。ゴミを入れられてもすぐ捨てられるし、そこでオ〇ッコはしにくいはず。さすがは介護のプロ。良いアイディアだと感心したが、長くはもたなかった。段ボールは雨に濡れるし、義父はその上からもオ〇ッコした。

 

 ケアマネさんがそこまでしてくれるころには、お隣の家から苦情が来ていた。臭いも酷いし、子どもが2階から義父の姿を見てしまったという。新築で引っ越してきて1年足らずのお隣さんには本当に気の毒だが、私たちも途方に暮れていた。

 ある時、小さなアイディアがひらめいた。ドラッグストアで何か役立つものが無いか物色していたとき、私の目についたのはペットの匂い消し。これはかなり効果があった。

犬の排泄物の匂いを消すスプレーは、人間にも流用出来ると判明した。私が義実家に行くとまず義父の目の前でスプレーしまくった。

「うわ、臭い! お父さん庭にスプレーしますねー」もう義父の立場に配慮する余裕は消えた。あとは義父が隣のお子さんの目に触れないよう祈るしかなかった。

 

 今となっては苦笑しながら話せるし「天国のお父さんお母さん、書いちゃってごめんなさい」と思う。でも誰かの役に立つかも知れない。

似たようなことで悩んでいる方がいたら、ペットの消臭剤おすすめします! ペット用のトイレシートも敷いておくと更に良いかも。

引越しと保証人

 義母の退院で義実家が小康状態の時期に、たまたま私たちは引越した。同居のためでもなく前向きな理由ではない。住んでいた賃貸マンションの環境が悪化して、夫が耐えられなくなったから。(結構ドラマチックだったのでいずれ書こうと思う)

 

 元のマンションから徒歩数分の賃貸マンションに移った。準備や手続きは私がやる覚悟でも当日に夫の肉体が動けるのかかなり不安だった。無事に引っ越せて本当にホッとした。

 前のマンションに入る時に、義父に保証人になってもらったのを思い出す。でももう家業はやめたし、要介護状態で保証人は無理ではないか。

それに今回はマンションの契約者を私の名義にした。夫がずっと無収入だからだ。(私も低収入だけど借金は無いおかげか保証会社の審査は通った)

 保証人ではなく「連絡先」という名目だったが、私の父に頼んだ。家族の他に当てはない。こんな歳になっても、私たちはまだ自分の親に頼っているんだなあと思った。

 

 こういうことは義父母の入院の際にも感じた。大抵の病院の書類に、連絡先の他に保証人2人の名前を書く欄があった。おもに費用の取りっぱぐれを防ぐためだと思う。

義父の入院では義母の名前を書き、義母の入院では義父の名を書いた。後に一方が寝たきりになってもそうしていた。両親が居なくなったらどうするのだろうと漠然と思った。

 

 そして保証人の1人はそれで済むとして、もう1人をどうするか。夫は自分の名前も私の名前も「書くな」と言い張った。

自身が親に対して責任を持てる状態ではない。そしてもし夫が両親より先に死んだら、両親の責任が私に振りかかってしまう。だから書くなというのが夫の言い分だった。

 そんなことを考えるのも嫌だったが、現実は目の前にある。1人分だけ記入した紙を病院に持ち込み、受け入れてくれるかハラハラと待つ。保証人を2人書けない人は他にも多いのか、何とかそれで通った。

 

 引越したころは夫の体調が少し良くなりうれしかった。新居に義父母を招待したいけれどどうだろう。3階建てのマンションの3階の部屋で、エレベーターが無い。

それでも「遊びに来てください」と言うと義母は喜んでくれた。リハビリに新たな目標ができたようだ。ただ、私たちが腰を支えても義母が3階まで階段を上がれるようになるか。かなり無茶だとは思う。

 でも義母には向上心があった。現実を無視していると思えるほど、どこまで衰えても戻ることを諦めない人だった。そういう姿勢には救われる思いがした。

一方義父は何も考えずにニコニコしているように見えた。面倒で我が家に来たいとも思っていなかったろう。

 私の両親にも似た傾向があるのは偶然だろうか。家庭の中のことに対する責任感で「お父さんの面倒を見なければ」と、女性が強くなるのかも知れないと思った。

どうしたら知ってもらえるのか

 はてなのトピックに載せてもらう方法がまだつかめない。ベルばらの感想はタグに「漫画」と入れてもダメで「マンガ」にしたら「読書・マンガ」に入った。でもDVネタは載せ方が見つからない。この記事も「雑談」と入れてみるけど、どうかなあ。

 

 ところで、わずかながらDVについて世間に関心をもたれた話を書く。どれも私が掲示板を運営していた20年くらい前の話。

 最初は研究者からのアンケート依頼だった。

その研究者はスクールカウンセラーを目指して大学院で勉強中だった既婚女性。実は自分が被害者だと自覚しDVの研究に切り替えたという。

被害当事者の性質などについて統計をとるため母数が必要なので、私は自分が答えるだけでなく知り合いの当事者も紹介した。喜んで回答したけれど、何だか面白いと感じられなかった。ひとりひとり違うのに傾向なんて出せるのかなという疑問が払拭できず。

 

 次は保健師を目指す学生さんのグループ。卒論と言っていた気もする。インタビュー形式で言いたいことを言えたから少し面白かった。

今後この問題はどうなっていくと思いますか? と聞かれ、私は「モラハラ」や「逆DV」などが増えると思うと答えた。別に当たってほしくはなかったのに、当時は知られていなかったモラルハラスメントという言葉の認知度は格段に上がった。

 

 マスコミからも取材依頼があった。

ひとつは、某雑誌に載せる記事でDV被害について語ってほしいという。殴られた傷の写真などあればなお良いし、旦那さんの話も聞きたいとのこと。

初めて業界人のメールを読んで驚いた。この言葉遣い、テンション・・・まるでドラマに出てくる芸能雑誌記者みたい! 本当にこういうノリでスピード感があるんだなあ。

 メールには掲載予定の雑誌へのリンクが貼られていた。開いてみれば派手な表紙。エログロありそう。あ~ここには載りたくない。でも真面目に返事は書いた。

・怪我の写真は無い 

・私が話したいのは被害内容でなく回復の話だけどそれでもいいか?

・被害や加害の話を聞きたいなら、支援団体を訪ねては?

・リンク先のあの雑誌にあなた(記者)が何を載せたいのかわからない

 

 すると諦めたらしく短い返事が来た。支援団体への依頼は断られたとのこと。そうか、あのノリで無遠慮に質問されたら当事者のメンタルが危険だから断られるんだ。

そしてなぜか添付ファイルがある。見るとその記者の過去の仕事らしい。環境問題など時事ネタの記事だった。

なるほど。私が辛辣なこと書いたから「こういうこともやった」と記者のプライドを見せてくれたのか。少し納得。それにしてもこの記者さん、よほど忙しいのか説明しなさすぎ。

 

 最後は某国営放送の地方局。

DVの特集があるとかで、やはり欲しいのは当事者の声。本人の発言をとる(つまり被害者を引っ張り出す)のは難しい。番組の趣旨に従い被害経験しか話せないけれど、まともな番組らしいので協力することにした。

こちらの都合に合わせて私の職場の近くで待ち合わせ、若い男性ディレクターがわざわざ新幹線で来てくれた。その日は打合せのみ。

本番は私が地方局まで行って録画。もちろん顔は撮らない。被害体験だけ話しても楽しくないけど、求められた役割のみ果たした。

 後日、ちゃんと出演料も振り込まれたし丁寧に対応してくれた。「もしDV問題について何かやるなら連絡ください」と名刺をいただいたが、私は支援者になる道はすでに捨てていたので特になし。残念!

ウェルビーイング

 企業でウェルビーイング(Well-being)の取り組みが流行っているそうで、所属部署でも2か月おきにミーティングがある。担当する上司は毎回テーマ設定に苦心しているよう。

これまでに「コロナ時代の幸福経営学」という動画を見たり、「アンガーマネジメント」の講師を招いたりしてきた。

 

 なんか懐かしいぞ・・・これ、私は20年前に仕入れた話ばっかり。

DVから立ち直ろうとしてメンタル系の本etc.を読みまくったから、知らないうちに色々と普遍的な内容を仕入れていたんだなあ。

 今年は職場で「アサーティブ」と「アンガーマネジメント」と「サンクスカード」のどれを実施したいか? と決をとることになった。

 私は「アサーティブって・・・必死にやったなあ」と遠い目になる。内容はもうよく覚えていないものの、日常で役立つ程度には身についていると思う。

主語を「私」にして考える習慣があるお陰で、自分の意志の在りどころを見つけやすい。それでも優柔不断な性格はなかなか治らないけれど。

 

 上司に意見を求められたので「昔、アサーティブの本は読みました」と言うと、「へえ、どんな目的で読まれたんですか?」

「仕事じゃなくてプライベートです~」

 別に隠す必要ないとは言えリモート会議で「DVを克服するために」なんて言ったら空気が凍りそうで。そうならないよう手短&明るく説明するのも難しいし「あんまり聞かないでください」風オーラで誤魔化した。

 

 結果、多数決でアンガーマネジメントに決まる。多数派の意見では「アサーティブはピンと来ない」「サンクスカードは面倒くさい」とのこと。仕事でイライラすることがあるから「アンガーマネジメント」を選んだらしい。

アンガーマネジメントの講習では「まず6秒待って怒りを鎮める」とか「ペンなど手近な物に集中する」などのテクニックに関心が集まった。

 

 私はアンガーマネジメントも20年前に、夫のために読んだ。その場から離れるタイムアウトは立場が逆だけれど私が実行した。(当たる相手が消えればおさまった)

 知識として役に立つが、私自身には不要。カッとなるどころか感情を抑えこむタイプだから、むしろ怒るべきタイミングで怒れず後悔したくらい。

でも今や夫から「そんなに怒るな」と言われたりするから、抑える癖は治ったのかな。

 

 そんなわけで懐かしく聞き流す。私の役に立ったウェルビーイングのミーティングは、社内ツールやメールのちょっとした工夫や悩みの共有。なにしろ新しいことに着いていくのが本当に大変で…

「メールの署名欄に定型文を複数登録して使い分ける」なんていう同僚に感心した。あれは真似しよう。

 

 私が就職したころはまだモーレツ社員と呼ばれる人種がいた。今でいう社畜と違って自ら進んで仕事をしまくる人たち。あの人たちがウェルビーイングを知ったら「なんだそりゃ?あまっちょろい!」と思うだろうな。

 企業が個人の幸せに配慮するのは間違いなく良いこと。でも昔と今の働き方は相対的にどちらが幸せなのだろう。

好景気の元で当たり前にサービス残業するのと、不景気の元ウェルビーイングを考えながらほぼ定時に帰れるのと。

私は低収入でも今の状況でいい。そうでないともう体を壊す。

介護の中の平穏と不穏

 義母の退院からまた毎日が忙しかった。電話や支払いや手続きのほとんどは平日の昼間しか受けてもらえない。だから出勤時に職場の最寄り駅を出て会社に着くまでの時間が勝負で、毎朝ひと仕事すませていた。

ケアマネさんやデイケアのスタッフに電話したり、銀行やコンビニで支払いをしたり、義実家の生活費をおろしに行ったり、必要な書類をコピーしに行ったり。

 年金では足りないから定期預金や自営業時代の出資金をおろす必要もあったが、当然本人は行けない。銀行や保険会社との面倒なやり取りもあった。

たま~に何もしないでまっすぐ出勤できる日があるとホッとするほど、用事が多かった。今だったらテレワークの日に色々やれたのに!

 

 ケアマネさんが作成する介護計画も病院や訪問看護もすべて、ケアされる人のためにのみ作られている。もちろん内容は悪くないが、家族が全面協力できる前提としか思えない。

作成された計画を毎月家族が読んで、納得したら捺印して返す。つまり家族の意志のもとにケアが行われる形で、毎月毎月複数の手続きがある。(しかも私たちは一度に義両親二人分)

形式的でなく本当にそうできる人はどのくらい居るんだろう? 家族が遠くにいる場合だってあるのに。

 夫には何度か「手を抜け」と言われた。夫の体調が戻らず動けない期間が続き、私が働きながらひとりでそれらをやることに無理がきていた。

 

 それでも義両親の状態が良い時期はあり、穏やかな日々の間に不穏な日が食い込んでくるような状態。あるいは不穏の中に平穏があるというべきか。

私が免許の更新に行った土曜日のこと。休日はいつも義実家へ行くので、久しぶりの外出で私はお茶でもして帰ろうかと呆け気味だった。

 更新手続きが終わり、あとは機械で番号を確認して帰るだけの時に夫から電話がきた。義母から具合が悪いと電話があったらしい。

夫も動けないので義母は病院に行くことを諦めたらしいが、それを聞いたら私は急いで帰るしかない。タクシーで義実家へ行き家の前で待機してもらった。

 

 義母が玄関にある段差を降りてタクシーに乗る際、リハビリ病院で教わったテクニックが生きた。

療法士さんから「お嫁さんも練習を」と言われ覚えたのは、義母の腕ではなく後ろから腰を支えることだった。

「お母さん、お尻押しますよ」と腰を支えて無事に乗車。

義母は「病院に行けると思ったらもう元気になってきちゃったわ」と言う。私への気遣いか。

 月に1回訪問診療を受けていたおかげで、休日に急患で行ってもカルテがあるので話が早い。しかも支払いは毎月の分に加算するから不要とのこと。その日は大ごとにならずに薬をもらって帰宅できた。

 

 訪問診療を利用していると、どこか痛くて不安だけど通院できないという場合も電話で看護師さんが来てくれたりした。契約しておいて良かったと思う。

介護保険医療保険どちらでも良いとのことで、家庭の状況に応じて利用できるらしい。悩むことはたくさんあるが、まずは遠慮なくケアマネさんに相談することからだと知った。

ベルサイユのばら_エピソード編感想③

 感想の三番目はジャルジェ夫妻。オスカルの両親で意外なことに実在する人物。

本編では所々に出る準レギュラー扱いだが、子どものころの私は美しくないおじさんおばさんは興味の対象外だった。

 12巻にオスカルの両親の若き日の馴れ初めが描かれている。本編ではおじさんでしかないジャルジェ将軍の青年時代の美しいこと。オスカルの華やかな金髪は父親ゆずりだったか。感情が豊かで顔もよく似ている。

            

 この時代の貴族は政略結婚が当たり前で、結婚後はそれぞれ勝手に恋人を作る。でも彼らは互いに一目惚れの恋愛結婚。

名家でしかも有能なジャルジェ将軍には釣り合わないと国王に反対されるが・・・という部分はネタバレになるので書かない。とにかく当時の貴族としては珍しく愛し合っている夫婦。

オスカルを含めて6人の娘がいるが、親子の仲も良い。(婦人の体が弱くこれ以上の出産は無理と言われ、オスカルを女性でありながら将軍の後継として育てる)

 この家族関係の良さはオスカルの性質に様々な影響を与えただろう。感想①で取り上げたジェローデルの家族とは対照的だ。

 

 またオスカルの母であるジャルジェ婦人(本編では名前が出なかったがジョルジェットと判明)は10代のころ母親から「あなたを見ていると、何につけのめりこみそうで」と心配されている。基本的にはおとなしく従順なのに、母親の心配は恋愛において実証された。

 

 この性質もオスカルに受け継がれたらしい。ブルボン王朝を守ることに生涯命をかけた父親に育てられたし、自分もそうしていたのに。ロザリーやベルナールなどとの出会いをきっかけに革命家に変わるのは、まさにのめりこみ貫く強さを持つ性質。

 体が丈夫ではないジャルジェ婦人は、革命でオスカルとアンドレが亡くなった悲しみに耐えられずに昇天。ジャルジェ将軍は男やもめになるも変わらず、数少ない王党派として王家に忠誠をつくす。

 

 感想②で書いたフェルゼンとともに国王一家の亡命を図ったが、残念ながら失敗に終わる。フェルゼンが自分を呪った運命の日、ジャルジェ将軍も絶望的な表情でパリに連れ戻される国王一家を密かに見つめていた。

 そのジャルジェ将軍を、かつて衛兵隊でオスカルの部下だったアラン・ド・ソワソン(ベルばら終了後もナポレオンの物語で活躍を続ける)が見つけるシーンが11巻にある。

革命家の彼から見れば王党派のジャルジェ将軍は敵だ。でもオスカルの父である将軍の身を案じ、一刻も早くパリから立ち去るよう強く進言する。

その時、アランの手を振り払うジャルジェ将軍の台詞がいい。

「私は娘とはちがう!! 娘には娘の生きるべき道があっただろう・・・だが私にも私の生きるべき道があるのだ 今この時に国王陛下と王妃さまのお傍にいなくてどうするのだ!?」

 

 この台詞。オスカルも同じように考えたはずだ。私は父とは違うと。父の生き方を認め尊敬もしているが、自分の生きる道は違うと。

親子が互いに相手を認め、自分との違いを認め尊重しているのがいい。でもそれゆえ敵対する立場になった。親子で殺し合う羽目にならなかったのは悲劇中の幸いだと思う。

革命後のジャルジェ将軍の消息は不明だけれど、革命家たちに殺された可能性が高い。オスカルと同じく、自分の道に命をかけ貫いた人だった。(実在の人物←これ強調)

 

 ジャルジェ夫妻を取り上げたのに、結局両親を通してオスカルを見てしまう。それでも子どものころと違って両親にも関心を持てたのは私が歳をとったからか。

 

 ところでエピソード編で判明したジャルジェ夫人のファーストネームはジョルジェット。私はフランス語はまったく出来ないので誰か教えてもらえませんか。

苗字のジャルジェと名前のジョルジェットの発音が激似に思えてしかたない。

ジョルジェット・ド・ジャルジェ 

日本語なら吉江淑恵(よしえよしえ)さんのような感じ?