今日は義母の命日。早いなあ。義父より7歳年下なのに先に逝ってしまってもう4年。
義母はそのころ、末期の人が多く入院する病院にいた。それでも一時は回復が期待され、私たちは義父が入居していた施設に一緒に入れないか検討していた。でも再び悪化した。
幸いそのころ夫の体調は少し安定して、何かあればすぐ病院にかけつけられた。例えば、たまたま病院からの電話に気付かず、かけ直した際にはもう業務時間を過ぎてつながらない。そんな時も私たちはタクシーで飛んで行った。電話は単なる業務連絡だったことが判明し無駄足だったが、少し面会させてもらって帰宅した。
ある休日の早朝、病院から電話があった。朝の6時ごろだったろうか。義母の容体が悪いから来てほしいとのこと。ふたりとも眠い頭にムチ打って起きた。
夫は「泊まり込みになるかも知れないから」と急いでお風呂に入った。私には「付き合わなくていい」と言うものの、私もあわててお風呂をすませ、携帯食など準備して家を出た。
ところがこの判断は誤りだった。病院に着いたのは8時ごろだったと思う。
病室に入り義母に声をかけるが反応しない。首にさわってみると脈はある。何度も声をかけた。
看護師さんが入ってきて義母の頬を軽く叩きながら耳元で大きな声で呼んだが、それでも反応しない。間に合わなかった?!
でも脈はあることにすがるような気持ちになる。私は「返事できなくても声は聞こえてるかも知れないよ」と何度も声をかけた。でもやがて脈もわからなくなった。
・・・逝ってしまった。医師が来て臨終を告げられた。
夫が気付いた。義母の顔は、というより目は、病室の入り口の方を向いていた。看護師さんが「ご家族がもうすぐ来ますからね」と言ってくれていたらしい。
義母は私たちを待ってくれていたのに、間に合わなかった。最後の言葉を聞けなかった。夫はそのことを、後になってからひどく悔やんだ。
いつもすぐに駆けつけていたのに、どうして最後だけそうしなかったのか。長時間付き添うことを想定して余計な準備をしてしまった。
優先順位を間違えないことはとても難しい。
そしてああいった病院の人は、患者の最後の時をかなり正確に読めるようだということもわかった。
ただ、聞き損ねた義母の最後の言葉は想像がつく。夫と私に「幸せになって」と思ってくれていたに違いない。あるいはそこに追加として「お父さんをよろしく」だったかも知れない。
そうわかることはありがたいなと思う。
今日は黄色のスプレーマムとピンクのガーベラを飾って、義母が好きだったお寿司を食べた。天国の義父母に「私たちはまあまあ幸せですよ」という思いを送ろう。