いつか愛せる

DVのその後のことなど

義父の一人暮らしの問題

 義母の入院中、当初は義父と愛猫ノンちゃんだけの生活。生活の不安はつきないし、火事やカギのかけ忘れなど事故の心配もあった。ただ義父は料理をまったくしないので、火を使われる心配は無いとわかった。(電子レンジも失敗するので夫が密かにコンセントを抜いた)

 私がポットにお湯を入れ急須に茶葉を入れ湯呑みを置いて「お茶の用意してありますからご飯のときどうぞ」と声をかけても、翌日もそのままだった。寒い時期で、冷めたお弁当やパンだけでは辛いだろうなと思ったのだが、どうしようもない。

 3ヶ月程度かかって要介護の認定をされ、ケアマネージャーが決まった。やっとヘルパーさんに来てもらえる。要介護度によって利用限度は変わるが、1~2割の負担で介護保険の利用ができる。最初は玄関に手すりをつけてもらったと思う。

 実はこの辺りから私はあまりに生活が目まぐるしくて、細かいことを覚えていない。とにかく色々なところから電話がある。義母が入院している病院だけでも、相談員からも看護師からも事務担当からも(←手続きや支払いの件)、出入りのクリーニング業者からもかかってくる。

 義父に関する電話も、ケアマネからもヘルパー派遣業者からも、その他もかかってくる。当初は夫も電話をうけていたが、事務的なことが苦手なので全部私の携帯が連絡先になった。私は仕事中も常に私物の携帯電話を首から下げていた。かかってくるのはほとんど平日の昼間で、名乗られてもとっさに「何だっけ?」と思い出せない。また様々な支払いが発生し、頻繁に銀行やコンビニに行かなくてはならなかった。

 

 ヘルパーさんに頼めることは限定されている。食事の支度や洗濯などで、医療行為は出来ないし、ペットの世話も頼めない。基本的にはお金も預かってもらえない。本人がヘルパーにいくらか預けて買物してもらい、直後にレシートと一緒におつりを返却。義母の入院中はお金の管理は出来なかったので、冷蔵庫にある材料で作ってもらっていたか?

 時間内にこなす仕事が決められているためヘルパーさんは忙しく、あまり義父と会話はしてもらえない。日中に人が来てくれるのはありがたいが、シフトにより毎回同じ人ではないし、手すりの取り付け業者なども来る。義父は来た人が誰なのか確認しない。泥棒に来られてもすんなり入れてしまいそうだった。

 

 トラブルは数え切れない。ある時は通っていた病院と患者さんに迷惑をかけた。年に一度の検査では心臓の状態を調べるため器具を体につけて生活し、翌週の通院で器具をはずして次の患者さんに渡すらしい。慣れた通院先だからと数日前に「○時に△病院ですよ」と言って予約票も貼っておいたが、甘かった。それまではすべて義母が予定を管理していたのだ。

 当日、義父が来ない、と病院から電話があった。夫は具合が悪くて動けない。私はすっとんで義父を迎えに行きかなり遅れて病院に到着。次にその器具をつける予定の患者さんをすっかり待たせてしまった。それを説明しても義父は理解しているのかどうか反応が薄かった。

 また別の通院日、義母のお見舞いの後、私は義父の薬をお薬カレンダーに分けるために待機していた。ところが帰宅した義父は「薬がない」という。血糖値を下げる薬などは飲み損ねると命にかかわると聞くのに、無くしたらどうなるのか。「どこかに寄りましたか?」「スーパーに寄ってきた」というので、私は自転車でスーパーに走る。幸い薬は店員さんが預かっていた。袋に名前が書いてあったおかげで、義父の名前をいうだけで渡してもらえた。

 夫も動ける時は実家に行き、あれこれ注意もした。「甘いものを食うな」「ノンちゃんが出てしまうから網戸を閉めろ」「カギをかけ忘れるから裏口から出入りするな」等々。特にお菓子の買い食いについては何度も怒った。血糖値などの数値は当然、悪化していた。本人でなく主治医に話して「このままじゃ危ないって本人を脅してほしい」と頼むこともした。

 怒ると怖い親父として君臨していた義父が、息子に叱られるのはショックだったろう。また自分でも迷惑をかけている自覚があったのかも知れない。ある日、義父はとうとう切れた。「わかったよ! もう死ねばいいんだろう!!」

 夫はそこまで追い詰めてしまったことに関しては、後で悔やんでいた。私たちもだんだん余裕が無くなっていたが、後に夫と義父との関係はきちんと改善した。