いつか愛せる

DVのその後のことなど

義父の足の指切断の話

 介護が本格化してからの記憶が時系列順になってくれない。特に義父は何度も短期入院や通院があり、どの病院が何だったかのか不明。取り敢えず思い出せるものを書く。

 

 義父がお菓子の盗み食いを重ねた結果なのか。それとも、心臓のステント手術をしたくらいだから、血管に問題を起こしやすい体質だったのか。恐れていたことが起きた。

それは足の指先の壊死。あるとき足の指の数カ所が黒くなってきた。

 本人は「汚れてるだけだよ」と気にしない(ふり?)だが、そんな色ではなかった。5ミリから1センチ位の大きさで数カ所が真っ黒。とにかく通院し、毎日洗浄することになった。

 これは医療行為になるらしくヘルパーさんに頼めない。医療従事者か家族のどちらかがやる。看護師さんに来てもらうとヘルパーさん以上にお金がかかるが、仕方ない。そのころ夫は動けなかったので、平日は看護師さんに頼み休日だけ私が行きやることにした。毎日通ってしまうと私の体力がもたないと夫が反対した。

 

 看護師さんにやり方を習う。居間にビニールシートを敷き、大きな洗面器と泡タイプの石鹸とガーゼや包帯を用意。水は500mlのペットボトル数本のフタに複数の穴をあけて簡易シャワーを作る。看護も介護も訪問でやる人たちは色々工夫するなあと思った。

洗面器に片足ずつ入れてもらい、洗ってペットボトルに入れたお湯のシャワーで流しガーゼをして包帯を巻く。

洗うのは難しくないが、ガーゼを剥がすときに痛そうだし包帯をうまく巻くのも難しい。

義父の足はもともと甲高の上にパンパンに張って仏像の足そっくりだった記憶がある。

 

 実は私が義父の足を洗っていたのが、指の切断の前だったか後だったかさえ明確に思い出せない。壊死部分を見たのだから、きっと切断の前だろう。

すでに私の心身も厳しい状況になりつつあったころ。とにかく右足の薬指と小指を切断。

指を切らなければ壊死は広がり、切断する範囲は足首→膝→腿と上がり、それ以上は生きていけないと言われた。

 かつて糖尿病を甘く見てまったく節制しない義父に、夫が「糖尿病はどんどん体が不自由になるだけで死ねないんだぞ」と脅していた時期がある。でも現実にこうなった時には何も言わなかった。

指が2本無くなるだけでも歩きにくい。しかもいずれもっと切る羽目になる可能性がある。他に私にできる対処は無かったし、とにかく丁寧に洗った。

 

 後日談。

義父が介護施設に入居した後。買い食いは出来なくなり、毎日バランスの良い食事を出されるおかげで様々な症状が改善した。しかも看護師さんが日中は常駐している施設だったため、毎日の足の洗浄もしてもらえた。

 夫が義父に「もしまた指を切れと言われたらどうする」と聞くと、義父は「嫌だな…」と答えた。だから夫は「もう切らせない」と宣言していた。

 結果、通院の度に「もう少し様子を見ましょう」となり、壊死は増えず切断は不要になった。飲み薬も徐々に減り、最終的には糖尿病対応の投薬が不要になった。生活の変化でそうなるのが奇跡か常識かわからないけれど、健全な状態になったと言えるのではないか。

 ただ残念ながら、その辺りでちょうど寿命が来てしまった。皮肉なものだと思ったり、そういうものなのかなと思ったり。