いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母の退院準備

 リハビリ病院にも3か月しか居られないので、2か月目に入ると退院準備が始まった。退院後の生活プランを考えてくれるのは、病院の相談員(ケアマネージャーとほぼ同様の仕事)。

 本人が在宅の場合は、地域包括支援センターで紹介されたケアマネがケアプランを立てる。一方、本人が入院している場合、大きな病院には相談員がいてその役割をするらしい。退院時には両者が情報の引継ぎもしてくれた。

 リハビリ後半は退院後の生活を想定して行われる。そのため夫実家の間取り図を描き、玄関や室内にあるすべての段差が何センチあるかも記入させられた。2階にはもう上がらずに生活すると決めたので、1階部分だけ。それでも段差は意外に多く、図を作るのは大変だった。

 例えば本人のベッドからトイレまでに3センチの段差があるなら、それを乗り越えられなければならない。トイレまでに5メートルあるなら、最低でも5メートルは自力で歩けなければならない。

 退院が近づくと病院の相談員さんと療法士さんが直接、家を見に来られた。そして義母の生活圏である台所とトイレまでの動線をチェック。どこに手すりを付ければ良いか綿密に計算した。(ベッドや手すりの取付は介護保険利用)さらに退院までの間、家の間取りを意識したリハビリを行ってくれる。

 義母のために至れり尽くせりに感じてありがたかった。ただこれらはすべて平日の昼間に行われる。入退院も通院も、数々のイベントや手続きが平日の昼間しかできない。介護には専業主婦(主夫)が必要だと思った所以だ。今のようにテレワークが導入されていれば、そんなに何度も仕事を休まずに済んだかも知れない。

 

 また、退院後の義母の居場所を作るのも大仕事だった。応接間だった6畳分の洋間に義母の介護ベッドを入れるため、部屋を空っぽにしなくてはならない。義父の買物好きもあって物が非常に多い家だ。

 どうやって片づける? 義父を戦力に考えては駄目だ。夫は相変わらずの不具合でいつ動けるか動けないかわからない。私ひとりでは絶対に間に合わないと諦めて、業者に依頼した。

 本当は家全体の不用品を片づけたいが時間がない。応接セットは捨て、仕事をリタイヤした時に持ち帰った大量の書類もなるべく捨てたい。

 サイドボードには古い書籍や装飾品も入っており、勝手にさわれないと思った。聞きながら分別する暇はないので義父に説明した。「お母さんが戻るため応接の荷物を片づけます。〇〇日に業者さんが来て全部捨てるから、捨てたくないものがあったら先に居間に移動させてくださいね」でも翌週に訪ねても義父は何も動かしていない。何度かダメ押ししたが、やらないなら仕方ないから全部捨てようと思った。

 そして当日。2トントラックに男性ふたりが到着し作業を始める。すると義父が壊れかけた。

「全部持って行っちゃうんですか?! 全部出さないと駄目ですか!?」

業者さんにすがりつかんばかりになって言う。病院の人か何かに強制撤去されると思ったのだろうか。だから何度も説明したのに・・・

 業者さんに少しだけ待ってもらい義父の好きにしてもらうと、どうでもよさそうな古い単行本や文庫本を移動させて雑に積み上げた。恐らく、その本が大事なわけではなく何かが不安だったのだろう。

 業者さんは、貯金箱や家族写真など「残しそうな物」が出てくるときちんと声をかけてくれた。夫が子どものころのアルバムが出てきて少し気持ちが和み、後で持ち帰って夫に見せようと思った。