いつか愛せる

DVのその後のことなど

定年退職の直後が肝心かも知れない

 会社に置いてあった冊子に「70歳雇用推進事例集」の案内。定年を伸ばす会社が増えているらしい。私が就職したころは、定年は50歳代の会社も多かった気がする。

70歳までの就業機会を確保する「高齢者就業確保措置」が企業の努力義務になったけれど、私は何歳まで働けるんだろう? 過渡期で読めない。

 そう言えば、義父は80歳を過ぎるまで仕事していた。それは自営業で自らが社長だったおかげ。段々忘れっぽくなって取引先に迷惑を掛けるようになってやめた。

やめた後、濡れ落ち葉にならないよう私たちは色々と働きかけた。何か趣味をもって動いてもらわなくてはと。退職して間もないころは、元々趣味のゴルフに時々は行っていた。でももうあまりお金は掛けられない。

 私は役所や図書館で色々なチラシを集め、興味をもてるものは無いかと義父に見せた。

義父は気難しくはないので、取り合えず話は聞いてくれる。本人の許可をとって、高齢者の体操と入浴をセットにしたグループに応募して当選した。でも1度行っただけで「ほとんど女性ばっかりだった」と気乗りせず退会。

 次は趣味の書道をやれる場所を近所で見つけて申し込んだ。私は奮発して筆も買ってプレゼントした。2度行ってくれたけれど、やはり合わなかった。指導役の人が「お上手ですね」というだけで何も指導してくれなかったという。(義父の父が日本画家兼書道家だったので本当に上手だったのかも知れない)

義父は褒められて喜ぶより上を目指したいタイプだった。指導してくれる教室もあったろうけれど、月謝が高い所は義母が嫌がったので書道もパス。

 次はまた運動系。長年趣味だった剣道や居合抜きはもう体力的に厳しいので「太極拳なら」と興味を持ってくれて、私は場を探した。通えそうな距離でやっと見つけたのに、何と年齢制限でアウト。太極拳は高齢者にも可能だと思うけれど、さすがに80歳超えの初心者だと責任を持てないと言われてしまった。

 もうその辺で私も本人も諦め気味になり、義父は毎日テレビの前で過ごすようになった。長年社長業で飛び回っていたけれど、本質はインドア派だったのかな。

           

 あの時点で、義母の家事を手伝ってくれるよう持って行けばよかったと悔やまれる。義父は義母が入院すると自分ではお茶さえ入れられなかった。家事をしていれば認知症を遅らせる効果もあったのではないか。

 でも義母は自分がきちんと全部やりたいタイプで、当時は私ですら実家の台所に入ったことがなかった。後になって義母自身が「お父さんに家事をさせなかったのは私のせいね。もう遅いわ」と言っていた。

 

 そうした義実家でのちょっとした後悔を私の両親に生かせれば良かったのに、うまく出来なかった。夫の実家と違って距離的に頻繁には行けなかったのが理由のひとつだけれど。

私の父も退職してすぐのころは趣味の釣りをしていたのに、続かなかった。好きなはずの将棋をプレゼントしてみたものの、相手になる人が身近にいず通える距離にクラブもない。

 幸い私の父は長年の共働きで家事もやってきたので、それらを教える必要は無かった。もし母が入院したりしても自分で家の中のことは出来たはず。

なのになのに···😢母より父の体の方が先に弱ってしまった。私の父はほとんど家事能力を生かす機会が無いまま、すでに施設に入っている。うまくいかないものだなあ。