いつか愛せる

DVのその後のことなど

義父の施設入所を途中で投げ出す

 義父と義母の最後の対面を終え、義父の病室へ戻ってから介護タクシーで出発する。まずは義実家へよる。持って行かねばならない荷物がたくさんある。

義父が自分の家を見るのもこの機会が最後だ。ただゆっくりさせてあげる余裕はない。

「最後だからお家を見ておいてくださいね」と言って私は荷物を取りに走る。義父は車の窓から家を見ている。まず冷蔵庫に残っていたバナナ味の豆乳を出して義父に飲んでもらう。甘い物は久しぶりのはずだ。

 玄関にまとめてあったのは、小ぶりな洋服タンスや衣類や衛生用品やエンシュア(総合栄養ドリンク)など。私1人ではとても車まで運べなかった。助けてくれたのは介護タクシー運転手のYさん。彼に関する記事は下記の2件。

 予定より少し早く施設に着くと、Yさんは荷物を義父が入る部屋まで運んでくれた。すべて彼の善意で無償だった。本当に助かった。

その間、義父は食堂に座り、話しかけてくれる人が多くニコニコしているのでホッとした。長年の自営業で人当たりよくするのは癖だったかも知れないけれど。

 私は部屋に運び込んだ荷物をせっせと解き、住まいらしく見えるよう整える。途中で施設の人に呼ばれ、説明をうけたり契約書に記名したりする。

実はこの時が初めてで知らなかったけれど、普通のマンションに入居する際より説明も書類もずっとボリュームがある。しっかり2~3時間はかかる作業だった。

 ある程度進んだところで、夫から電話があった。いきなり「何で俺は死ぬんだよ・・・」と夫の好きな「太陽にほえろ」のジーパン刑事の殉職シーンのものまね。冗談なのか本気なのか真意がわからない。

            

「どうしたの?」と私が青ざめていると、施設の人たちは何か察して席を外した。夫はまた転んで頭を打っていた。何もかも途中にして私は帰ることにした。「明日また来ます!!」

施設側のスケジュールもあるはずだしさぞかし迷惑だったろう。でも優先順位を間違えてはいけない。もし夫の両親のお世話のために夫を死なせたら私は絶対に後悔する。

 食堂にいる義父に事情を急いで説明したけれど、理解出来たのか出来ないのか返事はない。自分がどこにいるかもよくわからず、私が去るのは不安だったと思う。部屋に落ち着くところまで居てあげたいけれどどうしようもない。絶対に明日また来てきちんと話そう。今は投げ出す。

 電話はきらず片耳につけたまま施設を出る。小声で話し続けながら電車に乗り、走ってゼイゼイ息を切らせて帰宅した。

 何という一日だったろう。朝、義実家で義父の賞状を選んだり、病院で義両親の最後の対面をしたのが何日も前のような気がした。この日の夜のことも混乱してよく覚えていないし、記録もグチャグチャで解読できない。