義父が施設入所した翌日も忙しかった。前日がどれほどメチャメチャでも何とか起きる。私は自分の母に頼んで、義実家の荷物をいくらか引き上げてもらう約束をしていた。幸いそのころ私の母はまだ元気だった。山のような衣類や道具をなるべく無駄にしたくないし、不動産屋に引き渡す前に少しでも廃棄物を減らしたい。
とても暑い☀️日。母は知人夫妻に車を出してもらい、朝から作業を始めていた。ゴミを捨て片付けながら古い引き出物などが使えそうか吟味した。布団や冬物のジャンパーなどは、知人が「工場勤務の人たちにあげたい」と言って引き取ってくれた。この時に、無くしたと思い込んでいた土地の権利書も見つかったけれどもう用済み。
私は午前中は一緒に作業する予定だったのに、寝不足すぎて体がもちそうになくすぐに引き上げた。一度帰宅して、午後は義父が入った施設へ行き前日の続きをこなさなくてはならない。
どう移動するのが効率的か。家から施設まで自転車でも30分で行ける。帰りに食材を買うから自転車なら荷物がふえても楽。でも🥵暑過ぎて、今の自分では倒れてしまうかも知れない。自転車で駅まで行き、そこからは電車に乗る。
前日に施設との契約はほぼ済んでいた。残りはヘルパーさんを施設に派遣している業者からの説明と契約。(施設の形態によっては派遣なしで施設内で賄っていると思う)
自宅にいたときのヘルパーさんと同じに考えて良いのか、あれこれ質問する。どうやら以前のように臨機応変なことはしてもらえなさそう。
定時のおむつ替えなど決まったことのみをする。毎日夜中のおむつ替えもあり、施設の場合は一度に何人分もこなすはず。大変な仕事だし、ヘルパーさんが被介護者と雑談して仲良くなるような余裕はないと感じた。
説明と契約がやっと片付き、部屋で眠っていた義父に声をかけた。新しい髭剃りの使い方も説明しなくては。
義父からは義母のことを「どこに居るんだっけ?」と数回聞かれた。それに夫のことや義父自身のことも。同じことを何度か聞かれて説明した。
「ここはどこ?」
「ここは○○駅の近くです。うちからは病院より楽に来られますよ」
「ここには死ぬまでいられるの?」
「ここはマンションと同じで部屋を借りています。病気で入院になったりしなければずっと居られるから健康でいてくださいね」
「家賃はどうするの?」
「家を売ったお金がありますよ」
「それじゃいずれ無くなっちゃうじゃないか」
「お義父さんの年金もあるから大丈夫です」
義父は現実を受け入れようとしているのだと思った。前日の義母のあの姿は見たくなかったと言ったけれど、義母の写真や義父の父の絵を持っていったことは喜んでくれた。
やっとひと段落した。新たに買い足さなくてはいけない物もたくさん出来たけれど、義父の居場所が落ち着いてよかった。
それでもまだやることは山積みだし、その翌日もまたフラフラになって出勤したのに、結局夫からの電話で早退している。混沌とした時期がまだしばらく続いた。