いつか愛せる

DVのその後のことなど

リース物件返却にドタキャン3回

 義父が施設に入った後の介護関連の話を書こうと思うのだけど、その当時書いた記録がムチャクチャに混乱していて解読できない。駄目だ、話が飛びまくる。

いくら走り書きでも、誰のことを書いているのかわからない。主語がない。当時の私の馬鹿者。主語を省略するな!!・・・・・それくらい時間とエネルギーが足りなかったんだけど。

 

 ひとつ記憶しているのは、義両親の介護ベッドの返却のこと。それぞれ別の業者さんからのリースだったので、引き取りに来てもらう。日時を決めて、誰かが夫の実家で立ち合わなくてはならない。私は業者さんに電話して日時を決めた。平日の夜、仕事から戻ってすぐ行けは夜の7時過ぎくらい。

 でも当日、夫の具合が悪くて行くことが出来なくなった。ドタキャンの連絡をして、また別の日を設定する。でもまたその日にも夫が動けず、ひとりにしておけなくなる。また電話して「度々すみません・・・」申し訳なくて辛い。

 私は本当は約束を反故にするのは苦手。どうすればいいかわからなくて憤る。業者さんに「夫の具合が悪くて」と言っても、こちらの勝手な都合でしかない。それに家の引き渡し日も迫っているのに。

 何を優先すべきか判断できなくて混乱ばかりしていた。でも最悪の間違いだけは避けられたと思う。夫の両親にかかわることのために、夫の命を失ってはいけない。とにかく業者さんとの約束を3回ドタキャンしたところで、もう自分が行くのを諦めた。

私は自分の母に頼んだ。この日時に夫の実家に居て欲しいと。私の母がまだ元気なときで本当に助かったし、もっと早くそうすれば良かった。

             

 リース物件の返却だけでなく、買取業者さんの時も母に頼んだ。捨てるだけでなく売れる物は売りたい。事前に私が行き、比較的新しかった大型冷蔵庫や、義父の日本刀などの見積を出してもらった。(日本刀はそのとき所持の許可証が見つからなくて売れなかったけれど)

たいした金額でなくても売れればありがたい。その時に知った情報は、引き出物などで木箱に入った食器類は海外で喜ばれるので値がつくこと。和ダンスも高額になるらしいけれど、残念ながら売れるよう状態のタンスがなかった。

 それらの引き渡し日にも、私の母に行ってもらった。母は訪れた業者さんに名刺をもらい、後日自宅の不用品の買取も頼んだという。「自分で業者探すの難しいから。あんたが頼んだなら大丈夫でしょ」ですと。