いつか愛せる

DVのその後のことなど

義実家のカギを不動産会社に渡す

 2018年8月25日に義父が施設に入所した。次の課題は、義母の転院と義実家を不動産会社に明け渡すこと。実は不用品の処分と必要な物の選択がどうしても間に合わず、頼んで一週間延ばしてもらった。

            

 この時期のことは、当時の記録を読むまで忘れていたことだらけ。私は何だか呼吸がおかしくて、自分の体がまずい状態だと感じていた。息切れで階段を登るのが怖い。それでもやることは山積み。多分、目の前にことに反射的に対処するばかりだったので、あまり記憶が残っていない。

 義父が施設に入所したのは夏なので、とりあえず夏の衣類だけ持ち込んだ。家が残っているうちに、冬服もピックアップしておかなくてはならない。でも同居していたわけではないので、普段着ていた服がどれかわからない。衣装持ちの義父はあちらこちらに服をしまいこんでいた。

 同時に義母の衣類や持ち物も選ばなくてはならない。余命宣告され荷物はほとんど要らない状態から、なんと変化があった。

9月8日の土曜日に義母の入院先へ行き、「次の木曜日に転院します」と伝えた。そのとき野菜ジュースとヨーグルトドリンクにとろみを付けて持って行った。なぜその選択にしたのか覚えていない。ただ先にジュースをあげて後からヨーグルトドリンクをあげたら「味がない」と言われたことだけは記憶にある。順序を失敗したなと。

でも何とその日、義母は両方ともちゃんと飲めた!(と書いてあるけれど思い出せない)少し前にはまったく嚥下出来なかったのに。

 点滴を指す場所がなくなってしまったのか、足の付け根にうつされていた。それでも生きようとする義母の意欲に体が反応したのだろうか。

帰宅して夫に報告した。「よし、お袋はまだ生きる」。ということは義母の衣類も保管しなくては。小ぶりなタンスは義父のために持って行ってしまったので、義母の家具も考えなければ。私は感情が動く余裕が無く、やるべきことを計算する。

 9月9日の日曜日が実家を引き渡す日。早めに行って義母のシャツ数枚とジャージとパジャマをピックアップした。もっと欲しくても持ちきれないしこれで最後。

家と土地の名義はとっくに不動産会社に代わって表札も外されていたけれど、この日に家のカギ(4つ)を渡した。中も確認してもらう。

「ずいぶん物が減りましたね」と喜ばれた。介護ベッド2つを返却しただけでもかなり減って見えた。この時に固定資産税の精算をしたように思う。あとは私が水道をストップさせるだけ。N⚪︎Kは放置する。放置の理由は↓こちら。

 この前後の何ヶ月かの時期が一番大変だったかも知れない。夫はほとんど動けず精神的にも不安定。私も自分の体がいつまで保つのか自信がなくなり、仕事を休む日も多かった。