いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護する側だって主役だと言いたい

 義両親が施設に入居した2018年、9月ごろからの数か月は、私にとって最もハードだったかも知れない(DVの中とどちらがハードかと聞かれたら比較できない)。日記もどきのメモを読むと、今も気分がど~ん😨と落ち込む。毎日混乱していたし、私も夫もよく生きて通り抜けられたなあと思う。

義父も義母も居場所を移ったばかりだから、手続の他にも先方と情報共有しなくてはいけないことが山ほどある。でも義両親のためにはあまり動けなかった。夫の具合がどうにもならないほど悪くなったから。

介護の前回の話はこちら↓

 介護に関係ない夫の話題はなるべく書かない。ただ、その年の私たちの結婚記念日である10月11日に(←そんなこと思い出す余裕もなかった)、夫は初めて自分が救急車で運ばれた。なのにわずか2日後には、医師が「退院したら死んじゃいますよ!」とまで言うのを振り切り、強引に退院した。

           

 そのころ私はすでに有給休暇を使い切って、今度は度々欠勤した。月に半分も仕事をしなかったと思う。仕事と夫の命を天秤にかけたら、仕事は選べない。なのにクビにならなかった奇跡には感謝しかない。

 つくづく思う。介護する人もされる人も、どちらの人生も同じように大事。自分が介護のために生きている錯覚に陥るかも知れないけれど、どちらが主役でも脇役でもない。介護する側にも、その人たちの人生がある。体調を崩すこともあるし、他のトラブルに見舞われることもある。

 私はある人に何度も言われた。「夫の両親のために夫を見殺しにするのか」と。お陰でギリギリの選択を誤らずに済んだ。私自身の体も危なくて、いつどうやって睡眠時間を確保しようか悩んでいた。あのころに私の血圧は高くなったのかな。

 

 義両親に対して、もっとああしてあげたかったという思いはたくさんある。家族が頻繁に施設や病院に関わる方が、本人の状態をこまめに伝えて適切な対応をしてもらえる可能性が上がる。

でも途中までしかそれは出来なかった。医師に呼ばれた日ですら行けないこともあった。義両親の気持ちに寄り添えなかったことに、後から気付いたこともある。

 それでも、後悔はしない。私は自分に出来ることは誠実にやった。私の力不足であろうと、出来ないことまで強制する人なんて存在しない。私と夫が倒れることを、義両親は絶対に喜ばない。それどころか、最も嫌がることだと思う。

 だから、今介護で苦労している人にも、自分を大切にしてほしいなと思った。