いつか愛せる

DVのその後のことなど

「羨ましい」という言葉

 どこかで聞いた「羨ましいは恨むと同じ」と。そうなの? ネガティブなだけの言葉かなあ。羨ましい、の意味は「他人の能力や状態をみて、自分もそうありたいと願うさま。また、他人をねたましく思うさま。」前半の意味なら向上心やモチベーションになりそう。でも後半だとまさに恨むに近い。

 ちょっと前の経験を思い出す。私は友人への手紙に「羨ましい」を使ってから迷って書き直した。その人のストレートで情熱的な部分、周りを忘れるほどの集中力が私には無いなと思って伝えようとした。

でも、な~んとなく良くない意味も含む気がしたので、あなたのそういう部分が「羨ましい」ではなく「憧れる」とした。努力で同じようにはなれないし、なり替わりたいとも思わなかった。

 再度検索すると、羨む(うらやむ)とは、「妬む(ねたむ)」の初期症状。という解説を見つけた。🧐なるほど。「羨む」を放置すると変化して妬むになるのか。

 思い出すなあ。妬みそうな自分を感じたことがあった。もう四半世紀くらい昔(←四半世紀っていう言い方💦本当に昔だわ)DV真っ只中のころ。

当時の私は、すべてのまともな(?)夫を持つ女性、および独身女性が羨ましかった。

 私は教会に通っていた。ある日、結婚して数年のカップルが前に出て皆に祈られていた。子どもが与えられるようにと。季節は冬で、寄り添うそのふたりはたまたま白いセーターを着て、とても清らかに見えた。それを見た私は自分の境遇を惨めに感じた。

 ただ、私はそのカップルの女性のことが人として好きだった。何度も私に声をかけて気遣ってくれた人。だから「大丈夫。私は今も彼女のことが好きだわ・・・」と自分に確認していた。その人の不幸を願ったことはない。

でも彼女がああいう素敵な人ではなかったら、危なかったのかな。自分が何か危害を加えるとは考えたくないけれど、妬んだろうなあ。

 四半世紀後の今だって、周囲に目を向ければ羨ましいことだらけ。DVで失って取り戻せていないものはたくさんある。でも代わりに得たものもたくさんある。だからもうとっくに私はこれでいい。(弟切草=オトギリソウの花言葉は「恨み」「秘密」「迷信」「敵意」)

          

 回復のために学んでいたころ「感情には良いも悪いもない」と知った。だから「羨む」という感情も悪いものではなし。

というわけで、羨む(うらやむ)とは、「妬む(ねたむ)」の初期症状。←を、勝手ながら少し変えたい。羨むは初期症状ではなく、前症状とでも言うかな。

妬む=病(風邪)と仮定する。「羨む」が風邪の初期症状だと、すでにウイルスが体内に入って咳や悪寒があることになってしまう。でも羨むという感情は悪くないのだから、まだ風邪はひいていない。

ならば「羨む」=寒さや喉の乾燥を感じている程度かな。部屋を暖め加湿して養生すれば、風邪を回避できる。この場合の寒さや喉の違和感は、風邪をひかないために備わっている防御反応。感じるべきもの。

 羨ましいという感情を否定はせず、その取扱いに注意する。病まないようにどうやって養生すればいいだろう。

何がどう羨ましいのかじっくり考える、とか。自分に無いものでなく自分にあるものに目を向ける、かな? そうしたら羨ましさは消えるだろうか。

 まだ「羨ましい」を理解しきれてはいないから、対外的にはあまり使いたくない気がする。私はそういう時は「憧れる」を使うからいいや。