いつか愛せる

DVのその後のことなど

羨ましいけど妬まない

 昨日の続きを考えた。羨ましいという素直な感情が変化して心を病ませないためには、どうすればいい? 

私は昨日「DVで失って取り戻せていないものはたくさんある。でも代わりに得たものもたくさんある。だからもうとっくに私はこれでいい。」と書いた。

そう思えるまでにどう生きたっけ。ああ、これは過去形でなくて現在進行形だわと気付く。過去のことはもう平気でも、今の羨ましい話の方は書きにくい。でもちょっとやってみる。

(黄色い薔薇の花言葉は「嫉妬」「愛情の薄らぎ」「友情」「献身」)

           

 羨ましいという感情は、日常的に湧く。ブログを始めてからよそ様のブログを読んで更に増えた。たくさんのキラキラ✨や、普通の幸せ♡や、その人が努力して得た物や知識や立場などに、羨ましいな~と感じる。そういうキラキラや普通の幸せの多くは、かつて私が失ったもの。(私が子どもを持たない選択をした経緯はこちら)↓

 子どもの件は例として出しただけで、親になることを明確に望んだわけではなし。よそのお子さんを見て辛くなったりはしないし、そういう人生もあるねと思うだけ。

他にも、おもに経済的な理由で行かない地方や外国への旅行や、洗練された住まいやレストランやファッションの話題etc. いいなあと思う。

それでも何とか腐らない理由は何だろ。多くの人にとって普通のことがなかなか出来なくても・・・今の自分が「まあまあ幸せ」だと思えるからかな。多分、人と比較しなければ良いんだよね。

いつも喜んでいなさい。(テサロニケの信徒への手紙一5章16節)

この聖句を、昔は「難しすぎてほとんど実行できない」と思った。でも辛く悲しい時まで無理にそれを喜べという意味ではないと、最近になって知った。悲しい時には悲しむし、嫌な場所からも人からも離れて構わない。いつも喜んでいられるような生き方をしてほしい、というのが神様の望み。選択肢は常に人間に与えられている。

「しあわせはいつも自分の心がきめる」という、相田みつをの言葉も似ているなあ。自分で自分を幸せにする選択をしなくては。

 実は来月は結婚記念日で、2泊3日の旅行を計画している。夫と旅行するのは、新婚旅行以来、つまり何と31年ぶりになる。結婚後まもなくのDV突入で、落ち着いたころには義実家の介護が始まり、ずっとずっと旅行できる環境になかった。本当は去年(真珠婚式)で計画したけれど、夫の体調が悪くて諦めた。(去年の結婚記念日)↓

 

 今も夫の体調とお金はネックになる。本当は思い出のある高原のペンションに行きたいけれど、遠出は難しい。だから小旅行で行き先は鎌倉。宿はリーズナブルで駅の近く。

それでもすごく楽しみ。夫も1ヶ月も前から着ていく服の用意をして「体調を整えないとな」と言っている。

この旅行を存分に楽しめば、海外で長期バカンスする人や、星⚪︎リゾートで優雅な休日を過ごす人の話を聞いても「へ~いいねぇ」と思うだけで妬まないと思う。