いつか愛せる

DVのその後のことなど

災いが呼んだテレワークは私の益だった

 コロナ禍に入って以来、週3日出社で2日はテレワークをしている。おかげで2日続けて出社することが無く、1日出れば翌日は家にいられる。そのリズムにすっかり慣れてしまった。

         

それが会社行事のため2週に渡って3日連続出社をしたら、きっつ~い😅 体力だけでなく時間配分やその他もろもろ。出社はパソコンetc.を持つから荷物も重いし。

出社の帰りは重たい食材等の買物がきびしい。テレワークの日なら業務終了後に自転車で買い出し出来るのに。

出社が続くと通院も難しい。アレルギー喘息の持病や副鼻腔炎の手術後ケアの通院も、テレワークの日なら行ける。銀行や郵貯のATMの時間にも余裕で間に合う。もうきっちりテレワークが生活に組み込まれた。

 新型コロナは世の中に多くの災いを与えたけれど、お陰で私の職場はテレワークを全社的に導入してくれた(前は一部の社員のみだった)。新型コロナが5類に移行して元に戻す企業もあるらしいけれど、幸い私は今のままで良いらしい。

 近しい人を亡くされた方々にとっては忌まわしい病に違いない。環境の変化によるストレスで人間関係が壊れた話も多い。

でも自分の体力が衰えてきたころ起きた「出社を減らす」変化には、私は感謝している。もちろん不自由もまだあるけれど。(私の父が入院している病院の面会は予約してもたった15分のみ)

 思い出したのは、艱難を益に変えられるという話。聖書のこの部分↓から。

神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8章28節)

 今回の厄災の原因は、恐らく人間の手違いや愚かな悪意。仮に自然災害であっても、神様はそれを無かったように時間を戻すことはされない。ただし、落ちたその場からひとりひとりに別の道を開いてくれる。それを私は自分のDV経験から学んだ。

 絶対にしない方がいいとしか思えない経験。それは与えられたものではなく、自分が選択した人生で起こってしまったこと。天からの助けは災いの前に戻すことではなく、そこから良い方に転換させること。ひとつの幸せを失っても、新しい幸せを得られる。新しい幸せが前より劣っている等とひねくれなければ、人生成功するのではないかな。

 よくクリスチャンが「神は災いを益に変えられる✨」と表現するのはこれね、と思う。災いから私にとっては益のテレワークが与えられたけれど、間違いなくひとりひとりにもっと多彩な益の元がある。皆が気付いて生かぜば、世の中全体が少しずつ生きやすくなると思う。