いつか愛せる

DVのその後のことなど

退院当日

 義母がリハビリ病院にいた最後の1ヶ月程度、夫はほとんど動けずお見舞いにも行けず。馴染んだスタッフにも「ご主人しばらくいらしてないですね」と心配された。退院も私ひとりで動くしかなかった。(注:夫はひとり息子)

 義母に「お世話になった人達にお礼をしたいから」何か買ってきてと頼まれていた。病院内にそういうことは「ご遠慮ください」と貼ってあるものの、退院時にプレゼントする人が多いことを、義母はチェックしていた。それに、本当に感謝している気持ちはわかる。

 私は大量のお礼の品を用意した。看護師さんの部屋あてには皆で分けられるお洒落スイーツを。担当の看護師さんや療法士さん等5人には、今治タオルで作られた巾着やスカーフを。それだけでも大荷物だった。

 リハビリのため着替えが多かったので、前の週にいくらかは持ち帰った。あとは、帰りはタクシーだし何とかなるだろう。

 

 当日、まずは義父のところに寄る。義母を迎える準備万端、のはずだった。でも義母が使うはずのベッドの位置が、なぜか50~60センチずれている! 

 ベッドの位置は壁の手すりまでの距離を厳密に測り、義母がトイレや台所にひとりで行けるよう作業療法士さんが確定したもの。な、な、なぜだ・・・きっと義父は義母に何かしてあげたかったんだろう。役に立ちたかったのだろう。

 「お父さん、ベッド動かしちゃダメなんです・・・」と言ったものの、文句を言ったり叱ったりする気は無い。そんな余裕もない。それにしても、あの重たい介護ベッドをひとりで動かせたのか。今もそんな腕力が残っているのか。

 私は色々あり過ぎて、ベッドをどうやって戻したか思い出せない。多分、義父とふたりでやったと思うが。それとも病院スタッフが退院の日も来てくれたのだったろうか・・・?

 

 時間がないので急いで病院へ。大抵の病院が、事務手続きの都合で退院時間を午前中早めに設定している。精算額を計算している間に、義母に頼まれた人たちにお礼を配りに走る。本当は本人を車椅子に乗せて直接お礼を言えればいいが、とてもその余裕がない。

 皆、退院を喜びつつ心配して私に言葉をかけてくれた。特に相談員さんは、夫の具合も悪い私がひとりではどうにもならないと読めたのだろう。「何かあったら絶対に連絡くださいね」と真剣に言われた。(ありがたいが退院後は自宅介護のケアマネさんが担当になる)

 支払いの後、義母の薬を薬剤師さんが持ってきて、説明を聞いて退院手続き完了。入院中の洗濯(出し放題で月額数千円だったか?)を頼んでいた業者への支払いは退院後になる。

 前週に一部持ち帰ったものの、まだ大量の荷物があった。着替えの他に、時計や携帯ラジオや箱ティッシュや歯磨きセットやノンちゃんの写真や櫛と鏡とバスタオルその他もろもろ。バッグや紙袋が5個くらい。もっと大きなバッグにすればよかった。幸い退院日を連絡しておいたら義母の妹さんが来てくれたので、タクシーまで車椅子を押してもらった。私は両手いっぱいの荷物。

 もう思い出せないが、義母が倒れて入院したのは冬だっただろうか。リハビリ病院で桜を見た記憶はある。退院したのは初夏だった。

 

 義母を待ち侘びていたはずのノンちゃんは、当初ちっとも寄ってこなかった。義母は「忘れられちゃったのかしら?」と心配したが、やがて元の様子に戻った。