いつか愛せる

DVのその後のことなど

父の転院に同行した

 普段、夫の両親を見送ったことを介護の話として書いている。が、今日は自分の父の転院に同行した。こういう時のため夏休みをとらず有給休暇はたっぷり残してあるし、テレワークの日で休みやすかった。

 夫の実家は自転車で10分の距離だから楽に行けたが、私の実家へは1時間近くかかる。夫の両親を見送るまで自分の実家へは滅多に行かず、少々親不孝をした。自分の親はいつまでも元気でいてくれる気がしてしまう。

 

 数日前、病院からちょっとしたトラブルの連絡があった。父が自分のベットに戻ろうとしたら知らない人が寝ている。「ここは自分のベッドだから起きてくれよ」と言うと、相手に「何だと!」と殴られたという。

左目の上が腫れていた。たまたま若いころ交通事故でついた傷の位置と重なり、皮膚の歪みが目立つようになってしまった。

病院を責める気はないけれど、転院先(リハビリ施設で病院とは違うから本当は転院でなく単なる移動?)では周囲の人に恵まれますように。

 

 父は入退院を繰り返しているが、コロナ禍で会いに行けない。認知症がどの程度なのか判断しにくい。

本人は自宅へ帰って思う存分タバコを吸いたい。でも諸事情で帰れないことを手紙で伝えてあった。理解してくれているのか不安で病院に電話しても「病院からもお伝えはしてありますが・・・」と微妙な返事。

もし帰れないと知って怒らせてしまったらと、母はかなり心配していた。弟が運転手を兼ねて居てくれるので強制的に連れてはいけるだろうが、修羅場になってほしくない。

 

 私は父の好物の刺身を用意して行った。病院では生ものは出ない。自宅に戻らない限り食べることは出来ない。移動中の車で食べられるよう、トレーと箸と醤油とわさびとお手拭きも用意した。弁当箱に入れた刺身は大量の保冷剤でしっかり冷やした。

食べてほしい気持ちと、父の気を紛らわせたい思いと両方あった。それでも食べてくれるかどうかわからない。移動前の病院を出たのは朝の9時すぎで、まだ朝食から時間がたっていない。

 父は私たちの姿を見つけると「来たのか」と機嫌は良さそうだった。「お刺身もってきたよ」と言うと喜んで車の中で食べた。ありがたい。母も運転中の弟もほとんど話さないので、私はずっと話しかけていた。

今回は手紙を出しても電話をくれなかったことを聞くと「病室から出られなかった」と言う。一方病院のスタッフは「ご家族にお電話しませんか」と促したと言っていた。やはり本当はどうなのか知りようがない。

 

 無事に父を移動先のスタッフにお任せした後、大量の手続きと説明に入るのだった。全部で3時間程度。疲れたけれど、夫の両親のとき自分ひとりでやったことを思えば、今回は母も弟もいて役割分担できた。それにしても出社時より早起きして眠い・・・・・