いつか愛せる

DVのその後のことなど

ただ対等でありたい

 いつ誰に教わったか不思議なことに、私は幼いころから人間は対等だと思っていた。貧しさや病気など現実が不公平でも、差別は古い時代の誤りの名残だと考えた。

成長してから黄色人種であることも欧米では差別の対象だと知り、今もそんな露骨に残っているのかと驚いた。DV中は否定の中を生きたし、そこから脱出しても世の中はマウンティングであふれている。

 今の私は自分が欠点だらけでも不満はなく、登りたいとも思わない。ただ誰もが対等である世界に憧れる。上下関係はあっていい。私は職場で上司に従うことに抵抗はないし、上司が年下でも後輩でも気にしない。仕事上のみの立場だから。

 

 20年近く前から被害者・加害者という言葉が苦手だ。どちらも立場を示す言葉で、夫婦間暴力においてのみ私はかつて被害者だった。なのに「被害者」は人格や性質のように使われ蔑みの意図さえ混じる。私は人間だ、立場ではない。皆さんに「被害者は○○だ」という例文があったら何を入れるか聞いてみたい。○○にはほぼ否定的な言葉が入る。

 

 被害者と対になるもうひとつの言葉に「支援者」がある。ほんの一例に過ぎないが、私が相談に行った女性センターの話を書く。

相談員さんは初日にシェルターの説明をし、私は大いに動揺した。でもありがたいことに数回で「今回で終わりにしましょう」と手を放された。もっと緊急を要する人に時間を使いたかったのだろう。それは正解だったと今は思う。

もし「逃げろ」と強制されたら私も支援者に噛み付く被害者になったか、あるいは力尽き流されたかも知れない。そうなれば運命は狂ったわけで、想像すると怖くなる。もちろん状況によってはシェルターは有益なので否定しない。

 私に必要だったのは、進む道の選択肢と自分で選択するための情報や励まし。でも支援は逃げる以外の選択を持っていなかった。ただ情報(図書室)を教えてくれたので、私は本を活用した。あの時に数々の本を読んだことは、私が回復できた大きな要素のひとつ。

 当時はあまり役に立たないと感じたカウンセリングだが、実は可能な限り最良のことをしてくれた。彼女は私に情報をくれた上に、被害者であることを押し付けなかった。

「一番ひどかった暴力は」と聞かれ包丁を投げられた話をしたから、楽観視はされていない。でも自助グループに通い資料室の本も読み始めた私が、被害に留まってはいないと判断されたのではないか。

 支援は導いてあげることではない。私には情報を得る場所を教わったことが有効な支援だった。何が正解か支援者にはわからない。本人が選んで納得できた結果が正解だから、まずは選ぶための助けがほしい。

「どうか人間扱いしてください。被害者の立場を押し付けないでください。私は成人なので子ども扱いもしないでください。ただ少し休んで力をつける助けになってください」

今の私ならそんな風に言うだろうか。

 

 元当事者だったことを気楽に名乗れる世界を願う。そうなればリアルタイムの当事者も相談しやすくなる。私が被害者だったことは、私をよく知る人にしか伝えていない。私自身を知る人は、私を人格のない被害者扱いはしないからだ。

 DVの被害に限らないが、支援者として活躍する当事者もある。

講演などの後で自らも当事者だったことを話すと、途端に周囲の態度が変わるという。腫れ物にふれる感じだろうか。支援者になった当事者にも多分トラウマはある。でもきっとその人はすでにコントロールする力をつけている。辛くなればタイムアウトや周囲に伝える選択もできる。

 

 私は「被害者だったからこういう人」だと決めつけられたくない。同情は不要だし持ち上げられたくもない。トラウマは古傷のひとつに過ぎず私の本質とは関係ない。他人が作った被害者という箱の中に私はいない。

繰り返すが「被害者」「加害者」は立場を示す言葉で、人間を現しはしない。目の前にいる人の立場と付き合うのでなく人間として接してほしいし、私もそうありたい。

何度でも言いたい。被害者や加害者という生き物は存在しない。私はあなたと対等なひとりの人間だ。

 

 ここまで書いて気がついた。私は20年以上前に、あの相談員の女性を支援者としてしか見ていなかったなと。人として思い出したのはやっと今だ。反省しつつ、やはりあの時の私には無理だったかと思った。