いつか愛せる

DVのその後のことなど

当事者と部外者の隔たりの大きさ

 性被害をうけた人の心の反応は性別も年齢も無関係だと、ニュースを見て実感。

ジャニーズ性加害問題 望月衣塑子氏の質問に…被害者の妻ピシャリ「死にたいくらいに苦しいんだって!」

https://news.yahoo.co.jp/articles/0374a3955cd279a69a5dceff494862c91052ad49

 私は動画を見ていないので状況を想像。J氏から性被害をうけた人が大勢座っていて、そこには当事者の服部⚪︎次氏もいる。

記者の望月氏が、彼らにJ事務所を刑事告発することを勧めていたらしい。すると、離れた場所に座っていた服部氏の妻である石井く⚪︎子氏が、壇上に上がりマイクを取ってぶちまけた言葉が上記「死にたいくらいに苦しいんだって!

当事者と支援しようとする人との大きな隔たりがよくわかると思った。裁判に勝ってお金を受け取るより、まずは謝罪してほしいんだろうな。

 服部さん、そんな風に寄り添ってくれるご家族があって良かった。一緒に具合が悪くなるほど自分事にしてくれて、思いの代弁もしてくれた。

恐らく。彼らは被害を語るために、傷ついた精神を開いた状態でいたと思う。仲間の経験を聞くことでも、さらに自分の記憶が鮮明になる。事件が公にされて以来、彼らの心は大きなかさぶたを剥がして流血した状態かも知れない。

 もう20年以上前に読んだ本にあった。「高橋りりす」さんの「サバイバーよ、勇気を出すな」という言葉を思い出す。女性の被害当事者がはるか昔から声をあげ続けていたのに、世の中は変わっていないのね。

この「勇気を出すな」を、私はほぼ「支援者に利用されるな」という意味に受け取った。

支援者(あるいは運動家)を悪だとは思っていない。でも被害当事者に「勇気を出して告発して」という時、言った本人はどこも痛まない。当事者が告発してくれれば、一緒に戦う人には何等かの自己実現がもたらされる。

それは「女性の地位向上」だったかも知れないし、自分が支援者として「有名になること」や「立場を得る」ことかも知れない。極端な言い方をすれば、自分の心は痛まずに「勝利」のみを得られる。

 ちょっと話が逸れるけれど。被害当事者の政治やビジネス利用で思い出すのは、ご近所某国の権力者たち。戦時中強制的に搾取された人々のために(?)働く運動家。彼らは被害当事者が存在しなければ自らの立場も利益も無くなるので、本当の意味で助けはしない。自分の利益のためだけに動き、当事者を無視した活動が最近暴かれニュースになった。(なぜ今もその地位に留まっていられるのか不思議)

 日本もそこまで腐っているとは思いたくないけれど、支援者も人間なので100%他者のためだけに動くのは困難。きっと現場の人たちは、自分たちの思いを無視した戦いに放り込まれる恐怖を感じたと思う。

 そこで立ち上がった石井さん、すごい勇気。ご自身の被害ではないけれど、同調して具合が悪くなるほどの当事者性を持つ。ああいう時の発言はとても恐怖を感じることだと、私自身の経験を思い出した。

 

 私が自分の回復のためにDV情報ウォッチャーをしていた20年くらい前、いくつかのDV関連セミナーやフォーラムに出席した。私は支援者と繋がりは無く、一般の人と同じ自主参加。でも思うところがあれば当事者として発言するつもりだった。

ところが。「このことを言おう」と思った途端に、体の震えで力が入らなくなった。😥なぜに本人の意志を裏切るのよこの身体・・・何とか立ち上がって少しだけ話した。

 石井さんが女優だったことも、勇気を出すのに一役買ったかも知れない。不慣れな一般人が人前に出るのは本当に難しい。

私は元演劇部員で(関係ない?)、成人後も発声や発音の訓練をうけた経験がある。だから足が震えても声は震えずに話せる。なのに。オドオドして弱弱しく、いかにも被害当事者っぽくなってしまった。く、😖悔しかった。