いつか愛せる

DVのその後のことなど

寺内貫太郎はなぜDVではないのか

 最近、古いドラマ「寺内貫太郎一家」を観ている。リアルタイムでこれを観た人は、多分60代以上かな? 私も、悠木千帆(樹木希林)さんの決め台詞の「ジュ~リィ~~!」くらいしか知らない。

 半分はコントのようで、石屋さんを経営する主人公は絵に描いたような頑固おやじ。長男役のヒデキ(西城秀樹)が初々しい。長女役の梶芽衣子さんは「昨日なに食べた?」のお母さん役で見るけれど、若い時はすごい美人。お母さん役の加藤治子さんは、朝ドラのおちょやんにそっくり。お手伝い役の浅田美代子さんはあどけなくて可愛い。

恐らくまだ30歳代くらいでおばあちゃん役をやる悠木千帆(樹木希林)さんは、元気いっぱいで楽しい。ジュリーのポスターは確かにカッコいい。それはいいとして。

 まるで別の国のお話のように、今とは文化が違う。場面のみを切り取ったら、暴力おやじの話にしか見えない。毎回怒鳴るし、暴れて息子と取っ組み合いして襖や障子や、娘の雛人形まで壊す。時には妻のほっぺを引っぱたく。これ、現代のアメリカなら即!通報&逮捕される案件。日本でもDVと言われるはず。

          

 なのに私が「このお父さん駄目でしょ😠」と言いながらも観ているのは、コント仕立てだから···ではなく。本当は家族思いで優しいところもあるから···でもなくて。

どの家族も、主人公に手を焼きながらも困っている様子が無いから。頑固おやじを立てて従う場合も、必ず家族の誰かが気遣って取りなしてくれる。だから、怯えながら自分を殺して従う人がいない。

 やっぱりそこが肝心だなと思った。怒鳴ったり暴れたり、あるいは嫌がらせをするのがDVではなし。暴力を使う側と使われる側に支配関係が出来上がっているのが、DVの状態。頑固親父に言いたいことを言える(あるいは他の家族が言ってくれる)のは、支配されずに自分の意思を持っていられる状態。

ということは。DVかどうかを見分けるには、暴力を使う側ではなくて家族を見るべきということかな。あのドラマは家族全員が元気😄。もし主人公に無条件に従い悩む家族がひとりでもいたら、もう私は楽しめない。

 でも最後まで見ていられると思う。主人公は大黒柱のイメージは崩さないものの、納得すれば微妙に折れる。例えば、長女が子持ちの中年男性と交際するのを、はじめは大反対して相手を追い返す。でも相手が誠実な男性だとわかると、徐々に認めていく。

私自身はこんな横暴なお父さんは嫌だ!と思うけれど、家族が元気でお父さんを慕っているなら、まあいいか。少しだけ、あの着ぐるみのように太った寺内貫太郎が、かわいく見えてきたような気も···しないでもない、かな?

 それでも、あのドラマを見ていられない人はいるかも知れない。怒鳴ってちゃぶ台をひっくり返すような父親や夫に悩んだ経験のある人は、見ない方がいい気はする。(夫と貫太郎のタイプが違い過ぎるので、私はまあ大丈夫)。現代のホームドラマでは、もう絶対にあのシチュエーションはありえない。