いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護の中で決定や選択する責任のこと

 前回の記事を書いたとき、もしまだ義両親の存命中に私がひとりになってしまっていたら、と想像した。その可能性も無いとは言えなかった。仮に私が未亡人だったら、夫の両親のお世話をする義務はないけれど私の性格では投げ出せなかったろうと思う。

現代は親の介護は嫁の義務というわけではなくなってきている。地域や世代によって違いは大きいけれど、自分の親は自分がみるという考えに移行しているらしい。でも私はすでに義両親と親しい関係ができていたので、縁を切るのは無理な話。

 

◆介護の困難 私は同居していないから苦労の一部しか経験しなかったけれど、それでも介護は大変だった。義父と義母はほぼ同時期に要介護状態になり、途中で夫も原因不明の不調で倒れた。夫と義母が同じ日に不調で、どちらといるべきか逡巡したこともあるし、夫に付きそうために義母の転院スケジュールをドタキャンしたこともある。それでも、夫の存在がない方が楽だと思ったことはない。

◆決定と選択 現実に動くことと同様に重要なのが、「決定する」「選択する」こと。判断力がしっかりしているうちは何でも当人に委ねるけれど、段々そういかなくなる。どの病院に行き、どんな治療を選択し、どの施設を選ぶかetc. 家族が判断することが山のように続く。それを嫁の立場の私が決めることなんて出来ない。だって命に関わることだらけだから。回復の見込みがなくなるころには、どの点滴をいつまで続けるかといったことまで書類にサインを求められる。すごく露骨な表現をすれば、老衰で亡くなるタイミングを家族に決めさせられることがある。

             

◆嫁の立場で選択すること 小さな選択なら私もたくさんした。義実家を売る際に、残す荷物と廃棄する荷物を選ぶのは辛かった。持ち主のどんな思い入れがあるのか私は知らないのに、時間も無く多くを捨てたから。

何をどう選択しても、後悔をゼロにするのは不可能。ただ大きな選択に関わらずにすんだことを感謝している。私は夫の両親の命に関わることでの決定と選択を、背負わされることはなかった。

◆実子の役割 夫はただひとりの実子として、選択や決定の義務は完全に果たした。動けなくてスケジュールを延期したことは何度もあるけれど、絶対に外せない重要な時には、不思議と動くことができた。

病床の義母に司法書士が会いにきて実家の売買契約をしたときも、主治医からやんわり余命宣告や手術をするか問われたときも、義両親それぞれの看取りやお葬式のときも。おかげで私は、義両親の命にかかわる責任を負わずにすんだ。

◆選択を背負うべき人 夫はひとりっ子なので、助け合いができないかわりにひとりで決定できる点で話が早かった。兄弟で意見が食い違って大喧嘩になった人の話も聞く。

色々な事情で両親の介護を、配偶者やヤングケアラーと呼ばれる若者に手伝ってもらう場合。大切な決定と選択の負担までは、背負わせないでほしいと思った。それは要介護者に一番近いおとなが背負ってほしいし、そうあるべきだと思った。