いつか愛せる

DVのその後のことなど

介護の話

 もう見送った夫の両親の介護体験を少しずつ書こう。同居はしなかったが、一通りの経験は積んだ。

 義父は自営業だったので80歳過ぎまで働いた。軽い痴呆で取引先に迷惑をかけるようになって引退。7歳年下の義母は頭はしっかりしていたが体が弱り、買物に出られなくなった。

 我が家から夫の実家までは自転車で10分程度。夫と私が週に数回、買物して届けるところから介護らしきことが始まった。夫はかなり前から原因不明の不具合があり、自宅療養状態だったおかげで、体調の良い日は実家の助けが出来た。

 

 ある平日の朝、私の母から電話がかかってきた。義父がどこかと間違えて私の実家に電話をかけてしまい、そのことに気づいていないらしい。短縮番号を間違えたかな。携帯電話の使い方は何度も教えたが、画面が小さくて見えないのだろう。(固定電話はセールスetc.怪しい電話がやたらと多く、受信拒否設定してもキリがないので夫が解約してしまった。)

 私は夫の実家に電話をかけたが出ない。何度かけても出ない。きっとまた間違えてマナーモードにしてしまったのだろう。前にもそういうことがあり、バイブ状態では着信に気づいてくれなかった。

 夫は起きられないので私が行くしかない。私は職場に「1時間くらい遅刻します」と連絡して夫の実家に向かう。マナーモードのままでは何かあっても連絡がとれないから、すぐ解除しに行かなくてはと思った。

 合鍵を使い「お早うございま~す」と声をかけながら入る。義父はいつも通りテレビを見ていた。「お父さん、今日どこかに電話しましたか?」と聞きながら携帯電話を探すと、義母の姿が見えない。

「お母さんはどこですか?」

「え? いないの?」

なんと、義母は台所の床に倒れていた。本格的な介護生活に突入した瞬間だ。「お母さん!」と声をかけると意識はあった。私が救急車を呼ぼうとすると断固として反対される。「嫌」「大丈夫だから」

 何とか義母を起こして居間の椅子に運ぶことはできた。でも「腰がすごく痛い」とか「景色が斜めに見えた」とか、放っておける状況ではなし。私は会社に「さらに遅れます」と電話して義母の説得を続ける。義父からもすすめてもらったが駄目。義父は小さな会社とはいえ長年社長として周囲から頼られていたのに、オロオロするばかりだった。

 お昼ご飯を買って食べてもらうことは出来たが、和式トイレが無理。痛くてしゃがめない。私が義母を抱き上げてもほんの少ししか動かせない。ついに義母は限界らしく「もれちゃうから、まなさん離れて・・・」

 午後になってようやく夫が動けるようになり、来てくれた。義父より夫の言葉の方が強い。「救急車呼ぶぞ」というと義母は観念した。

 義母にバスタオルを巻いて「救急車が来るまでに下着を着替えちゃいましょう」としたくを手伝う。私はどうしても出社したい日だったため夫にバトンタッチ。夫が救急車に乗り私は夕方から出勤した。

 

 運命は不思議なもの。もしあの日、義父が私の実家に間違い電話をかけなかったら。あるいは私がそれを知っても「後でいいや」と夫の実家に行かず出勤していたら。義父は何時間も義母が倒れたことに気づかなかったろう。気付いたとしても、携帯電話はマナーモードだったので義父にはかけることも出来ない。どこにも連絡をとれない。義母の寿命はあそこで終わっていたかも知れなかった。