いつか愛せる

DVのその後のことなど

支援者を目指さなかったわけ

 回復が進んでくると、DV支援の仕事に興味を持った。でも結果として支援者を目指さなかった理由を書く。まず身近にあったのは行政の相談機関なので、自分が相談した時のことを思い出してみた。私の場合、月に一度のカウンセリングを数回うけただけで、シェルター等のお世話にはなっていない。だから逃げるとき助けられたと感じている人とはかなり印象が違うと思う。

 

「本を無料で借りられると聞いて本当に助かった。おかげで回復の役に立ったなあ。でも夫に関する情報は何もくれなかった。シェルターの案内をされてグラグラ迷いながら帰ったっけ。カウンセリングが役に立っていないと感じ始めたころ、今回で終わりにしましょうとあちらから言われたなあ」

 つまり当時の相談所は離婚の手助けしかしなかった。「DVは治らない」が定説だからだろう。当事者が離婚を選択するならそれでいい。でも元気になるまで伴走するのでなく、支援は離婚までだと知った。離婚後も様々な問題があるはずなのに、途中で手を離す支援なら私は関わるまいと思った。私は当事者が回復する姿を見たいからだ。

 そのころDV情報ウォッチャーだったので、様々な匿名情報をwebで見ていた。なぜか激しく支援者を糾弾する書き込みがあり、一体誰がどういう理由で叩くのかさっぱりわからなかった。今にして思えば、支援者に家族を奪われた(と思っている)加害当事者だったのかも知れない。

 なかには信憑性を感じる書き込みもあった。「支援機関には予算が必要。予算を得るには実績が必要。DV支援の効果を数値化はできないから、離婚させた件数を実績としてカウントする」という内容だ。あり得る話だと思った。それが本当なら、壊さなくていい家族まで壊す可能性がある。私もシェルターを紹介されて悩んだほどだ。組織の下にあるということは、当事者の利益を優先しないかも知れないと知った。お金や人を用意出来なければ支援は出来ない。そもそも私は心の回復ばかり考えているが、現実には経済や肉体や法律の問題など山積みなのがDVだ。支援を仕事にするのは無謀だと理解した。

 そんなわけで私に出来る支援はなく、なおさら情報発信に力が入った。マイナーながらもホームページへのアクセス数は増え、エゴサーチすると引っかかることがあった。どこかの支援者さんが私のことに言及した。「被害女性が自分の夫も治ると思って留まるから危険だ」と。

 少しショックだった。それは私自身も注意を呼びかけていた事柄だ。私は「暴力をやめさせる方法は知らないしそんなものがあるなら教えてほしい」とか「私はレアケースです」と何度も書いていた。自分と夫の事例が少数派だと知っていたから慎重に発信した。別れずに済んだ結果ではなく、経過をわかって参考にしてほしかった。それでも私は要注意人物なのだろうか。

 私が言いたいことはふたつだけだ。ひとつは「自分自身を回復させる」こと。当時読んだ本に習うならエンパワメントと言うのかも知れない。もうひとつは「関係を作り直す」こと。別れる選択も含めて、暴力と支配のない関係に変えることだ。自分自身を回復させることは、別れる別れないには無関係のはず。関係を作り直すことだって、夫婦も親子も友人だろうと応用できる。つまり、別れても別れなくても心についての取り組みは一緒だ。それを理解してくれる人は何人もいて、掲示板で人生についての考察で盛り上がった。

 それでも、私の結果しか見てくれない人はいるのだろう。あるいはすでに離婚した人には、私がその人の選択を否定する存在に見えるのかも知れない。それは私の意図することとまったく違う。だから自分のサイト以外では中途半端な発信をしなかった。

 支援者にとって私は邪魔者なのだと少々いじけたが、私は自身と自分の経験を否定するわけにはいかない。もし離婚した人が私の存在を知って痛みを感じてしまうなら、私が黙るよりその人が自分の選択に自信を持ってくれる方が永続的で有益だと考えた。

 そうして私に出来ることがはっきりした。私は誰かを助けてあげることはしないし出来ない。私にとって一番の支援は対等な関係の自助だった。仲間とのやり取りから、本を読むのと同様かそれ以上のことを学んだ。だからもし当事者に関わるとしたら、私は仲間としてだけだ。私は誰かより先に歩いた分、道のうちのひとつは知っている。その道にはこんなことがあったよと話を出来る。誰かが自分の道を選ぶ際のサンプルのひとつになれるはずだ。