いつか愛せる

DVのその後のことなど

義母に会いたい義父

 救急車が義母を運んでくれた病院は、不便な場所だった。電車でもバスでも遠回りで行きにくい。道がわかれば自転車でも行けそうだが、坂道も多くきっと1時間はかかる。自分達の体力のためにはタクシーで通うしかなかった。

 

 最初は夫と義父と3人でお見舞いに行く。義父は心配で仕方ないのに何をしていいのかわからない様子。横たわっている義母に優しく「元気か・・・?」と聞く。元気なはずはない。あとは何もすることも言うこともなく所在無さげにしていた。かつては仕事でも親類縁者の問題でも、頼られて治めることをしてきた人だ。怒ると鬼のように怖かったと聞く。なのに歳のせいなのかなあ。

 夫が義父を連れて行くのはたまにでいいと言うので、以降は大抵2人で行った。私の記憶が曖昧なだけでなく、義母はどこの具合が悪いのかちっともわからなかった。腰の痛みは転んだときに入ったヒビかも知れない。意識はしっかりしていたが、その後何度も発熱した。

 1~2週間は黙って様子を見たが変化がなく、看護師さんに状況を聞いた。でも病状については医師から伝えることになっているらしく何も教えてもらえない。簡単な質問にも答えてくれない。医師と話すには平日の昼間、外来の時間に予約を入れる必要があるという。その仕組みは理解できるが、何度もお見舞いに行っているのに何の情報も得られないとは。こちらは訪問客ではなく家族なのに。

 夫自身も原因不明の不具合を抱えて動いていた。お見舞いにきて病院のエレベーターで倒れてしまったこともある(幸い少し休んだだけで起き上がれた)。病院の対応に苛立った夫は看護師さんを叱りつけるように強く出た。

 すると、「少しお待ちください」と言われ、なんと主治医があちらから会いに来てくれた。少し低姿勢にすら感じた。ああ、こういうものなんだなあと思った。この病院は強く出る相手にだけ丁寧に対応するのか。義母の発熱の理由など聞いたと思うがもうよく覚えていない。

 

 何週間かたった平日の昼間、夫から私に電話が来た。

「親父が勝手に病院に向かった!」

遠いからひとりでは行かないでくださいと釘をさしておいたのに、義父は自転車でお見舞いに行こうとした。幸いにも携帯電話は持って出てくれた。夫はかつて義父と一緒に働いていた元部長さんに連絡した。病院の方角に近い所に住んでいたからだ。元部長さんはタクシーに乗っているところだったそうで「タクシーでこの辺を探してみるよ」と言ってくれた。

 夫は何度も義父の携帯に連絡し、やっと出てくれた。「今どこにいるんだ?」と聞いても義父はそこがどこだかわからない。夫は「誰か通行人いないか? 電話を代わってくれ」と依頼した。義父は通りかかった男性に頼んで夫と話してもらった。やはり病院とはズレた方向にいたらしい。

 夫は親切なその男性から、現在地と帰宅するための方角を聞き出した。さらに「親父に家に戻るよう言っていただけませんか」と頼んだ。するとその通りにしてくれた。夫はお礼を言って義父に電話を戻してもらった。現在地がわからないようでは義父も諦めがついたのだろう。

 夫は「○○の方角に向かえ」と伝え、自分は逆のコースを自転車で走り、無事に落ち合えたらしい。元部長さんにも報告とお礼の電話をして一件落着した。

 

 その間、私は職場の株主総会のリハーサル中で雑用係のため会場に待機していた。隅っこでコソコソと電話に出ていたが「行方不明?」「警察呼ぶ?」と物騒な言葉が聞こえてしまったのか、かなり心配されてしまった。私自身も青ざめていたかも知れない。義父も夫も無事で本当に良かった。