いつか愛せる

DVのその後のことなど

さぶろうさん

 私が自分の掲示板で知り合った男性のうち、少なくとも2人がすでに亡くなっている。家族の方から亡くなったと連絡をいただいて知った。そのひとりがさぶろうさんで、もちろん本名ではなくハンドルネームだ。

 彼は私の「あさみまな」という名前を、クリスチャンらしい解釈でほめてくれた人だ。

「『朝、見る、マナ』ですか。いいお名前ですね」

マナは旧約聖書で、イスラエルの民が荒野で飢えた時に毎朝天から降ったという食物だ。つまり神様の日々の恵みを現している。素敵な解釈ゆえ「その通りです」と言いたいところ「もっとミーハーなんですよ」と正直に答えた。確かにマナは聖書からとったが意味以上に語感を気に入ったからだし、あさみは更にミーハーだ。

 当初、さぶろうさんはメールをくださり、DVで家族も仕事も住まいも失ったという。私は男性とのメールには注意していたが離婚済みなら元妻さんに配慮する必要もないと思い、自分の夫に報告しただけでやり取りを続けた。私を知ったきっかけは元妻さんが置いて行った本だという。「いつか愛せる」を元妻さんが読んだらしい。忘れ物なのかわざと残したのかはわからない。

 やがて彼は本名を名乗り、失った職業を明かした。彼は元牧師だった。それを言うのは勇気が必要だったろう。普通は相談をうける側にいる仕事だ。その時は私が当事者かつクリスチャンだと明記していたからか。あるいは元妻さんからのメッセージであると受け取り、私に繋がろうとしたのだろうか。

 職業を聞いたことで色々わかった。牧師夫妻が離婚したから、家族も仕事も住まいも一度に失ったのだ。どれほどの喪失感だろう。特殊な仕事ゆえ再就職も困難だ。離婚した牧師を迎える教会があるのか私にはわからない。鬱を患うのも無理はない。

 そして私は彼の元妻さんのことが気になった。どんなに大変だろう。離婚はそれまでの人生や自分の信仰を否定することに思えたろう。相談できる相手はいるのだろうか。DV被害者を支援するカウンセラーは居ても、そこで彼女は牧師の妻だったことを話せるだろうか。話したところでその特殊な立場の苦しみを理解してもらえるだろうか。友人はいても、他の牧師夫人である方々は彼女の離婚を咎めたりしないだろうか。

 さぶろうさんの話から何度もそんなことを考えた。ただすでに鬱病を患っている人にそういう話はしなかった。彼は自分の過ちを振り返ったりしていたが、長文を書くエネルギーが無さそうだった。初めは元妻さんが出て行ったことに怒りを感じた、と正直に伝えてくれた。牧師の妻が出ていくなんてあり得ないと甘えていたと言う。現実を認識するにつれ彼は心身の不調に陥ったらしい。

 でもやり取りするうちに彼は少し明るくなり、調子が良いときには掲示板にも書き込むようになった。牧師だったことは明かさなかったが、他のDV当事者の女性とも慎重にやり取りしていた。元の仕事柄もあり、おだやかに人と関わることは難しくはなかったと思う。メールでも、いつか元妻がゆるしてくれたらDV関係にある夫婦を助ける働きをしたいと夢を持ち始めた一方、ゆるしてもらえないことを恐れていると書かれていた。私は元妻さんに関しては、確信なく彼に期待を持たせるような励ましは書けなかった。

 鬱病ゆえか不調の波があり、メールの返事はなかなか来ないこともあった。私は「具合が悪いなら返事は無理しないでくださいね」と一方的に新たなメールを送ったりした。あなたの存在を忘れていないと伝えたかった。

 それにしても今回はやけに間があくなと思っていたある日、「さぶろうの姉です」と名乗る方がメールをくださった。近所に住む姉夫婦が助けてくれていると、さぶろうさんからは聞いていた。彼は、心不全で亡くなっていた。まだ30歳代だったはずだ。ショックだった。なぜ? 鬱は少し良くなったようだったのに。ただ、自殺ではない、よかった。牧師までした人だ。生きようとしていたんだ。

 それからまた私は彼の元妻さんのことを思った。お子さんがいるのに、さぶろうさんからの養育費も得られなくなったのか。彼の死はきっとすぐ耳に入っただろう。受けとめることでまた苦しむのではないか。彼女とお子さんが守られるよう祈ることしか私には出来ない。

 でも、いつか彼女はさぶろうさんをゆるそうと考えるのではないか。そのとき彼が離婚以降どうしていたか知りたくなるかも知れない。ならばその時、私に連絡をくださらないだろうか? 私は彼女の名前も連絡先も知らない。だから私はサイトのタイトルやペンネームは変えずにいよう。

 私はさぶろうさんのメールや掲示板の文章を保存し、いつかその日が来ることを願った。だが10年を過ぎてもまだその日は来ず、パソコンの不調ですべて消えてしまった。20年経った今はもう私の頭の中にしか無く、かなり頼りない記録だ。それでもいつか、名前も知らないその女性から連絡がくることを期待している。