虐待されていた人は記憶を無くすことがあると聞く。私も暴力を受けていたころの記憶に妙な抜けがある。当時流行っていた歌やドラマやニュースをほとんど覚えていない。でもいつどの記憶が消失したのか、思い当たることが無かった。
例えば、阪神淡路大震災当日の記憶はある。大阪にいる知人が無事だと聞いてほっとした。その少し前に夫は酒ビンを割って踏みつけ親指の筋を切って松葉杖で生活していた。入浴できないため「水のいらないシャンプーを買ってきてくれ」と言われたが、そのシャンプーは被災地である関西に送られていてなかなか見つからなかった。
同年のオウム真理教の地下鉄サリン事件当日の記憶もある。まだ彼が仕事を投げ出す前だ。私は自分の仕事を休んで松葉杖の夫に付き添わされ、一緒に地下鉄に乗っていた。霞ヶ関で停車した時、外がさわがしくて他の路線が止まっているらしいことがわかった。幸い私たちが乗った電車は発車し目的地に着けた。
そんな風に夫に絡んだ事は覚えている。なのに、大騒ぎだったはずの震災やサリン事件のニュースを見た覚えがないし感想を持ったり誰かと話題にした記憶もない。毎日繰り返し放送されていたはずなのに。
そして震災から15年経ったころ、災害時に起きる性暴力のことがニュースで取り上げられた。この話題は震災の直後にも取り上げられていたと知った。私が知れば興味を持つはずだが、まったく見た記憶がない。
同じころ、地下鉄サリン事件からも15年で、亡くなった方の遺族へのインタビューをニュースで見た。事件当時にもよくテレビに映っていた人らしい。夫は「この人は見覚えがある」と言うが私は初めて見たとしか思えない。もしやDVの中で乖離と呼ばれる症状が私にあったのだろうか? でも自覚がないし抜けている記憶の時期も一定ではない。
それがひょんなことから仕組みが判明した。いや、私の推測に過ぎないけれど記憶が抜けている理由に納得した。ある日、何年振りかでとある地下鉄の乗り換え駅を通った。かつて通勤に利用していた駅だ。その駅のベンチに座り、人生の棚卸をしていたことがある(人生の棚卸と世間の目_参照)
毎日20~30分ベンチに座ってせっせと書いた駅だった。
連日、仕事帰りにこの駅で座っていたのに、どの場所だったかわからない。この駅に違いないのにどこでどんなベンチに座ったか思い出せない。
それで、ああ成程・・・と思った。記憶が消えたのではない。そもそもインプットされなかったんだ。自分にとって重要なことしか記録されていないとわかった。仕事帰りに人生の棚卸を書いたのは、自分を立て直そうと必死だったからだ。周りには目がいかず一心不乱に書いたのだろう。だから景色は覚えていない。
人間の頭の容量は人によって大きな違いはないと聞く。パソコン同様で同じスペックなら一度にできる思考や記憶の量は同じだ。かつての私の頭の中はほとんどDVで占められ、そこに能力を全部割り当てたに違いない。だから他のことを記憶できなかった。きっと私は家でテレビが映っていても見なかった。暴力をうけていたか、そうでなくても夫の様子を窺うばかりでテレビを見る余裕が無かった。駅やスーパーで流行の曲が流れるのを耳が聞いても、頭に入るスペースが無かった。そういうことだ。
強いストレスで解離性障害を起こして記憶を無くす人もいるが、私はそれとは違ったようだ。辛いことから目を背ける防衛反応ではなく、大変なときに重要なこと以外には脳が反応しない自然な現象だった。1990年代の私の記憶が不自然なのは、忘れたのでなく覚えなかったから。そして覚えなかったのは当時の私にとって重要ではなかったから。
こういうことは珍しくはないと後に知った。友人にも同じことが起きていた。カラオケに行った時のことだ。たくさん歌って英語の曲にも挑戦しようと、私はABBAのDancing Queenを入れてみた。有名な曲なので、私がまともに歌えなくても一緒に歌ってくれると思った。
でも彼女は「この曲、何?」と聞く。「ABBAの曲だよ」と答えたが、ABBAさえ知らないと言う。まさか。1980年前後に日本で大ヒットしていたグループだ。友人は私より年上だしずっと日本にいたし、聞いていないはずがない。
私は自分の経験ゆえに「あ・・・」と理由の見当がついた。あの曲がヒットしていたころ、きっと彼女の生活は大混乱だったんだ。友人は自分の結婚が失敗だと思ってから離婚までに8年もかかったと言っていた。その8年に当たっていたに違いない。そうか、私が能天気にABBAを聞いていた若き日に、彼女はすでに結婚生活で苦しんでいたんだなあと思った。
一方で私は1990年代のヒット曲がわからなかったけれど。でもリバイバルや再放送などで少しずつ当時の流行りに触れる。つい最近も1990年代のドラマの再放送があり夫に言われた。
「これ一緒に見たな」
でもやはり私には記憶がない。並んで見ていたらしいが私の脳は記憶していなかった。ならばもう一度見るのも悪くない。そうして空いたピースは埋まっていくから、もし長生きしたら1990年代はもう私にとってエアポケットではなくなる。多分。