いつか愛せる

DVのその後のことなど

3.11

 明日は3月11日。あの後すぐ介護生活に入って、これまであまり意識してこなかった。今後に生かせるようなことを何か思い出せるだろうか。

 当時の私の職場は、お茶の水にあるビルの7階に入ったオフィス。大きな揺れのたびに重たい業務用デスクやキャビネットがズズっ と動くのが怖くて、悲鳴をあげていた。熱帯魚の入った水槽が倒れそうでおさえている人もいた。

 電話やメールが通じないとき連絡の役に立ったのは、当時まだ運営していた自分のサイトの掲示。会社のパソコンから「無事です」と書き込むと、夫も自宅の様子を書き込んでくれた。今はそれに代わる連絡手段がないので考えなくてはいけない。

 

 会社から帰宅許可が出て夕方4時くらいに退社。自宅よりも近い実家に向かうことにした。道路は人であふれていた。幸い道は単純で迷わない。仮に現在の職場で同じ目にあっても、実家まで迷わず歩ける。

 お茶の水にはスポーツ用品店が多く、運動靴売り場は人だかりだった。その日の私は履き慣れたローヒールのブーツだったのでセーフ。もう通勤にヒールのある靴は履かない。

自転車屋さんでもどんどん自転車が売れていた。今なら街中のレンタルサイクルがすぐ無くなるのじゃないかな。

 休憩をはさんで夜8時ごろヨレヨレになって実家に着いたけれど、幹線道路はまだまだ下り方向に歩く人たちが多かった。あの時は事故など無かったものの、帰宅するか職場に留まるかの判断は難しい。でもどうしても帰りたいのが人情。

 

 当時は携帯電話事情にも振り回された。我が家はPHS保有していて、携帯電話よりはるかに繋がりやすかった。災害に強いと話題になって喜んだのも束の間、停電では使えず·····我が家は計画停電のあるエリアだった。停電は寒くて暗くて料理もできず、マンションでは水洗トイレも使えず。

皮肉なことに、石油ストーブを持っている私の実家は計画停電の除外地域。エアコンしか無い夫の実家は無情にも停電があった。高齢者ふたりと寒さに弱いネコ1匹で、我が家以上に大変だったはず。

 後に停電に備えてランタンは買った。そして義両親がカセットコンロを買ってくれた。水と非常食も少しだけ用意。あと、トイレットペーパーが不足した経験から、テイッシュとトイレットペーパーは在庫を余分に持つようになった。電池も買い置きしてある。他にも出来ることをひとつひとつ考えよう。

        

 こんなものも見つけた。明日、検索してみようかな。