いつか愛せる

DVのその後のことなど

お花見で思い出した桜と狂気

 昨日は桜が舞い散るのをしばらく眺めて、ある風景を思い出した。それは結婚して最初に住んだ家から見た桜吹雪

駐車場の上の半二階のような一階に居間があった。居間にはベランダがあり、窓から向かいの家の大きな桜の木が見えた。借景というやつで、桜の季節の眺めは最高。

 居間に座ったまま、風にはらはらと散る花びらを目で追った。追っても追っても花びらは次々に舞い降り、頭がぼ~っとして異世界に吸い込まれそうな気がした。満開の桜の下を通ると気が狂うという小説や映画ががあったはずだ、とぼんやり思った。

             

 その家はDVのトラウマが大量にある場所で、桜の風景もトラウマ記憶と繋がっている。ただ桜を見た時の状況は覚えていない。何をしている時だったのか。何もせずひたすらぼんやり見ていたのか。

 多分、私は自分が狂って仕舞えばいいのにと思っていた。いえ、少し違うかな。こんな生活をしていたら頭がおかしくなるのではという恐怖と。一方で、いっそ狂えばこの状況から解放されるという現実逃避の願望。

そのふたつが入り混じって「私は狂いかけているかも知れない」と思いながら、舞い散る桜を見ていた。人はそう簡単には狂わないけれど。でも病んではいたかな。

 そんな諸々のトラウマも、ずいぶん前に整理されている。昔見た桜吹雪を思い出しても、落ち込んだり不安定にもならない。ただ古い記憶を思い出しただけのこと。

そのころ住んでいた家や街のトラウマ克服のきっかけが↓ 結婚12周年記念の時。

 manaasami.hatenablog.com

 桜はただ美しいだけ。もし狂うとしたら、原因は桜を見る人の側にある。狂う理由を探して桜に押し付けたいのかも知れない。あるいは桜の魅力を強調したいだけ。

 実は上記の家のお向かいの桜は、数年後に切り倒された。理由は知らないけれど、虫がついて困ると聞いた気がする。とにかく美しい借景は消えて、あの家にいながら桜吹雪を見ることは無くなった。

 なのに私はその後も似たような体験をした。桜が無くなったら、今度はで。

居間に座ったまま、透明なガラス窓からふわふわと舞い落ちるを眺めた。目で追っているとやはり異世界に行きそうな気がして、私、狂いかけていないかな、と思った。自ら催眠術にでも掛かるつもり?

 

 昨日の私は、桜をただきれいだなーと思った。眺めながら夫と珈琲を飲んだり、義実家に思いを馳せたりした記憶が、桜と一緒に刻まれている。

あのころと比べると肉体の元気具合は少し減ったけれど、心は至って元気。