いつか愛せる

DVのその後のことなど

素人が「暴力と性暴力の違い」を考えた

 古い記事に複数のアクセスがあると「何に興味を持ってくださったか」気になって読み返したりする。そんな記事のひとつがこれ↓

 初めてブログのリンク機能を利用して、よそ様のブログについて言及したもの。(恐らく研究者の方が書いた書評に突っかかってしまった💦失礼だな私)

 書いた時点で私が説明出来なかったことを、改めて考えた。「暴力」と「性暴力」の違いは何か? これは女性なら感覚的に理解できると思ったけれど、どうなんだろう。アンケートしてみたい気分。性暴力の被害経験のある男性にも、もちろんわかると思う。

 私は書評を記事になさった方が「カテゴリーミステイクではないのか」と書いたことにぷちっと切れてしまい、冷静に読めず暴挙に出た。なぜ小松原さんの経験を「暴力であって性暴力ではないのでは」なんて言うのか😡と。本当に申し訳なかったけれどおかげで勉強になった。

 今回リンク先を読み直して、やっとわかってきた(遅い!)。「当事者は嘘をつく」という本には「性行為に同意した」一方で「性暴力をうけた」と書かれている。だから難解に見えて読者は混乱する。論理的にのみ読めば矛盾して当然。私は何年も前に著者の小松原さんとやり取りしたため、無意識に「行間を読む」ことが出来るのかもしれない。

 それでもやはり経験者には刺さる本だから話題になる。通じる人には通じる。今回は暴力と性暴力が明らかに異質だという説明にチャレンジしてみる。

思考のためこの先ちょっと危険な表現が入ります。被害経験のある方はご注意を。(アマドコロ、またはナルコランの花言葉は「心の痛みのわかる人」)

             

 例えば、力で敵わなそうな相手が刃物を持っていると想定する。相手が殺意の目で「死ね」と言う場合と、レイプ目的の目で「脱げ」と言う場合。どっちも怖いけれど怖さの種類は違うよね。その違いは想像しにくいかな・・・

 昔聞いたDVの事例だけれど「肉体の暴力を多く受けた人より精神の暴力を多くうけた人の方が、立ち直るのに時間がかかる」傾向があるらしい。精神の方が辛いとか大変だという意味ではなく、傷が癒えにくいということ。

DVの場合、一見そうだとわからない性暴力も存在する。それは、怒らせるのが怖くて被害側が「嫌だ」と表現出来ないから。つまり内面は怯えていてレイプに近い。(職場などのセクハラも似ている気がする)

私が知り合った女性の中には「夫の機嫌をとるため定期的にこちらから誘った」という人もいた。本当は嫌なことを喜んでいるようにさえ振る舞う。そこまで自分を欺くから精神を病む

 内面まで具体的に書きたくて私自身をサンプル化しようとしたけど、さすがに「性暴力」は無理だった。思い出したくないから感性でストップがかかる。そこを突破するほど無茶して書く意義は感じないのでやめた。

「暴力」の記憶の方がまだ書きやすいのは、感情を閉じた状況説明でも伝わるからだと思う。例えば「蹴られて腿にアザが出来た」と言うだけで、よほど鈍感な人でなければ「痛い」「怖い」とわかってくれる。

でも性暴力は表面的な説明では通じないし、詳細に表現しようとするほどに記憶が蘇って自身を追い込む。しかも、聞く側の性欲や野次馬根性を隆起させる可能性がある。

司法の場では「性暴力」も「暴力」と同じような状況説明を求められると考えると、あらためてゾッとした。

 

 感覚的な表現ばかりだけれど、想像していただけるとありがたい。暴力は痛みを与えられたり心身に傷をつけられるもの。性暴力は精神を「搾取される」または「魂に侵入される」ものだ、と私は感じる。

妊娠や病気への恐れは副次的なものではないのか。その2つの恐れは数ヶ月後には消える可能性があるけれど、それでも残る痛みの方が大きい。

相手が何をしたかではなく、こちらが搾取や侵入をうけること。性暴力であるかないかが「被害者のリアリティによる(小松原さんの言葉)」とは、そういう意味だと思う。

 リンク先の記事を冷静に読めてかなり理解できた(素人の私に全部は無理だけど)。今度は冷静に伝えたい点をひとつ見つけた。↓この下線をつけた部分。

「被害者自身の認識する思考枠組みに基づいて、加害者の発言や外面的な振る舞いが〈性暴力〉として主観的に規定される」

 性暴力か否かは、被害側の「思考枠組み」に基づくのではないと思う。何度か書いたように、そしてどの言葉が最も適切か測りかねるけれど。当事者の「感性」「精神」「魂」「人格」などに基づくと思う。

だから、聞く側がそれらを閉じた状態で思考しても理解出来ない。そういうところが、恐らく刑法で裁く司法の場には不向きだと想像した。

(私は遅筆なので、この記事を書くのに2日かかった。今の自分の頭ではこれが限界!)