いつか愛せる

DVのその後のことなど

父が事故にあった話を書く

 本当は最近見終わったアニメの感想を書く予定をしていたけれど、そういう気分にならず。(アニメはとても良かったのでいつかまたの機会に)

 

 今日は私が小学2年生の時に、私の父が交通事故にあったときのことを思い出したので書く。ずい分古い話で、思い出したのも久しぶり。

父は友人と遊びに行った帰りで、ふたりで車に乗り父が運転した。もしかしたら少しアルコールが入っていたかも知れない。当時は今よりはるかに酒気帯び運転に対して甘かったから。

 父はその夜、今では珍しくなった路面電車の安全地帯に車ごとぶつかった。友人と話していてわき見運転をしたらしい。あんな大きなコンクリートの塊と衝突して、よく生きていられたと思う。

父は命に別状はなかったけれど、ハンドルに顔や胸を打ちつけ瞼の傷が酷かった。医師は「こっちの人が独身だったら結婚は厳しいなあ」と言ったらしい。幸いにも(?)傷がひどかったのが私の父で、独身なのは友人の方。

           

 季節は春で、その時、母のお腹の中には私の弟がいた。母はその夜、雑誌を読みながら夏みかんを食べていたと記憶している。ただ本当に夏みかんを食べる母を見たのか、後日母から聞いたから記憶に刻んだのか、曖昧で区別がつかない。

 夜中に連絡があり母がどう病院に向かったか、私は寝ていて知らない。朝、目がさめると両親の姿はなく、親戚のおばあちゃんが私の隣に寝ていた。母は私を起こして連れて行くわけにいかず、留守をお願いしたらしい。

間もなく一度母が帰宅し、今度は私も学校を休んで一緒に病院に向かった。母は着替えやお金などを取りに戻ったのだろう。父が事故にあったこと以外何も教えてくれず、黙って私の手を引いた。きっと今後の不安とやるべきことが山積みで、私と話す余裕がなかったのだと思う。

 事故現場に近い病院は、電車に乗って3つ目の駅からまた少し歩く。母が何回通ったかわからないけれど、お腹の大きい時で本当に大変だったろうな。今さらになって若き日の母を労ってあげたくなる。

 

 父が入院していたのは1ヶ月か2ヶ月だったか···退院して間もなく、今度は母の具合が悪くなり、産婦人科に入院した。父は自転車の後ろに私を乗せて(当時は二人乗りOKだった)毎日母の病院に通った。幸い弟は無事に産まれた。

 父の瞼の傷は整形で少しマシになった。でも子どもとしては、そんなこと全然気にならなかった。父は父だから。

同じ年に、なんと父は機械で右手の人差し指の先を切断してしまう。すごい試練の年。父は目の上の傷と、第一関節から先がない指···多分、傍目には危ない世界の人に見えたかな?

 それでも無事に私と弟を育てたし、母と協力して家も建てた。古傷はどうなっただろうか。指先がなくて字を書きにくいと言っていたし、事故で胸を打ってから「高い声が出なくなった」そうで、歌を歌わなくなった。でも子どもである私には関係なかった。父が父でいれば他は気にならなかった。

 今、怪我や病気やさまざまな理由で家族を心配している人たちが、安らぐことが出来ますように。どんなところを通っても、最後には笑えますように。