いつか愛せる

DVのその後のことなど

実家の母と過去と将来と年の瀬

 昨日は私の実家へ行ってきた。会社で集めた来年のカレンダーを、自転車の荷台からはみ出すほど積んで届ける。風邪が治りかけの母は、手も足も痛くて立ち上がる度に「どっこいしょ」とゆっくりゆっくり。常に元気だった母も、弱ってきたなあ。

             

◆石油ストーブとヤカン 「躓くので危ないから」と使うのをやめていた石油ストーブが、父の入院で危険が無くなり復活していた。ふたをあけたヤカンが乗せられ、部屋の加湿をしている。「このヤカンは⚪︎⚪︎家(←夫の実家)のものだよ」「へえ、そう。使ってもらえて良かった」

義実家を取り壊す直前の片付けを、母とその友人に手伝ってもらった。「使えそうなものは全部持っていって」と頼んで、布団や大量のコート類などは工場勤務の人に託した。捨てずに済んだ義実家の物が生きているのはちょっとうれしい。かつて義実家の玄関に飾ってあった鉢植えも、私の母が大きく育ててくれた。

 

◆カレンダー 隣に住む外国人の一家にもカレンダーをあげる予定でいた。小学生くらいの女の子がいるので、選んだのはディズニーの絵柄の大きなカレンダーと、ピーターラビットの卓上カレンダー。ちょうど女の子が庭から見えたので、声をかけて渡した。ご両親はまだ仕事らしい。

 

◆母の話 行く度に母は、家や土地のことなど先々の話で堂々巡り。母の願いは私と弟に半分ずつ残すことらしい。家を半分には出来ない。「住んでいる弟が相続すべきでしょ」と私は言う。すると「でもこの先お金が足りなくなったら売らなきゃならない」と言う。そう言われても今は何も決められない。遺言書というものは、分ける財産が明確でないと書きにくいと思う。だから「お母さんの気持ちだけ遺言にしてくれればいいよ」とすすめる。気持ちを残してくれれば、生きている者はなるべくそれを尊重すればいい。じゃあ「パソコンに残すかもしれないから、もし急に倒れたらパソコンも見てね」とのこと。

 長いこと私はDVやら義実家の介護を言い訳に、自分の実家に滅多に行かなかった。それは母にとってちょっとした心の傷になった気がする。どこまで取り返せるだろう。自分の体力を気にしながらやらねば。

 

◆お節ときりたんぽ 私がいる間に届いた宅配が2つ。親戚からきりたんぽと比内鳥の鍋セット。もうひとつは初めて注文したお節。厚手の段ボール箱がふたつ残る。

かつての義母を思い出した。北海道の親戚から届いた大量のトウモロコシに「年寄りふたりでどうするの」と嘆いた。私は早々にトウモロコシの皮を全部むきゆでて、大きな段ボールは畳んでゴミに出せる状態にした。義母の力では無理そうだったから。

もう私の母にもこれは大仕事だ、やらねば。段ボールを畳んでガムテープできっちり押さえ自転車置き場へ運んだ。あとはゴミの日に出すだけ。中身のおせちはお裾分けをもらった。

 

◆豆もち 母のいなかから届いていた豆餅を今年ももらった。ありがたいな。母が生きている間だけの特典と言える。これから先、私の周囲の人は減る一方だと思ったら寂しくなる。いやいや減るだけにしなければいい。直接の知り合いでなくても、ブログで少し知っている人だってたくさん出来たではないの。

 

◆年の瀬 そうして迎えた大晦日。掃除も一部しか出来てないなあ。下手にこれから動くとゴミが増えて出せないし・・・とまた自分に言い訳。

来年は本を出す目標のために、もっともっと動くんだ。自分の生活のためだけでなく、実家にもさらに関わらなくては。

 そんな現状ですが、読んでくださる皆さまありがとうございます。来年もよろしくお願い致します。皆様に良いことがたくさんありますように。