いつか愛せる

DVのその後のことなど

元旦に起きたこと考えたこと

 例年通りあまりイベント感のない新年です。年賀状の追加を1枚ポストに投函した他は、一歩も外に出ず。夫が寒がるので近所への初詣も行かず。

我が家では元旦はカニを食べる日としているので「そろそろ用意しようか」と言っていたところ。携帯電話から「ぎぃゆっ!ぎぃゆっ!ぎぃゆっ!」と緊急地震速報。ライブのニュース動画をつけると、アナウンサーか記者の女性が叫ぶような声で「安全な場所へ逃げてください!」と繰り返していました。

この辺はほとんど揺れませんでしたが、大きく揺れた地域の皆様にはお見舞いを申し上げます。どうかどうか被害が極力ありませんように・・・

 しばらくニュース動画を見てから、カニを食べました。避難している人は食事も出来ないかも知れない。元旦からこんな目に遭うなんて・・・と、自分の環境をありがたくも申し訳なく感じました。(スノードロップ=待雪草の花言葉は「逆境の中の希望」「慰め」など)

             

◆一休さんの「し」 ふと思い出したのは、昔アニメで見た「一休さん」のお話。あれもお正月の話だったと思います。権力者に長い、長~い、長~~~い半紙を用意され「何かありがたいことを」書くように要求されました。一休さんが書いたのはたった一筆で「し」のみ。それは「死」で、誰にでも平等に訪れるものというような解説だったと思います。およそ目出たいはずのお正月向けではなく、一休さんもトンチではなく真剣な表情で終わったと思います。

 

◆明日死んでも後悔しない そんな生き方をする人の話を聞いたことがあります。健康なのに遺書を持ち歩く人もあるとか。そういう人は、どれほど濃い人生を送れるのかと想像します。関わる人には常に「これが最後」と考えて最善の礼をつくすでしょう。毎日をフルに大切にやり残すことなく生きているでしょう。仮に短命でも、私の何倍ものことを成し遂げるに違いありません。

ならば真似をすればいいと想像するのですが、「明日」だと急すぎて私は混乱します。あれもこれも間に合わない! 両親を最後まで見てあげたいし、どうしよう・・・と。じっくりやるべきことまで慌ててやっつけ仕事にしかねません。

 

◆まずは設定を1年 もう少し期限を伸ばそうか? 例えば1年。そのくらいなら、この年齢でありえない話ではないし、病気で余命宣告された人もいらっしゃるはず。

あと1年で私は目標の本を出せるだろうか? 多分、1年では無理です。でもそのつもりで動けば、これまでよりはずっと目標に近づけるでしょう。関わる人とも、これまでよりもっと誠実に向き合えるでしょう。

もしその生き方が板につけば、その後に「明日死んでも後悔しない」生き方に移行できるのかも知れません。それはきっと慌ただしい人生ではなく、むしろ穏やかであると想像します。

 

 元旦に考えるに相応しいことかも知れないと思いました。被災地に対しては祈ることしか出来ないけれど、私があまりぼんやり過ごしませんように。「し」を意識した上で精一杯生きることができますように。